リナ・バスケット Lina Basquette (エヴェリン・ホワイト孃旧蔵サイン帖 11)

エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 & サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより

Lina Basquette c1928 Autograph

リナ・バスケット孃の運命はとても興味深い形で好転を果たしている。嬢は何年も以前にユ社の花形子役であつた。そしてニューヨークで踊り子として舞台に立つ。その後ワーナーブラザーズ社のワーナー四兄弟の一人、故サム・ワーナー氏の夫人となつた。数か月前に映画に戻ることを決心し、亡き夫が監修していたサウンド短編(ヴァイタフォン・プロローグ)のひとつに出演している。

夫君の亡き後も映画女優を続け、セシル・デミル氏と幾つかの出演契約を結んだところである。

『ピクチャー・プレイ・マガジン』 1928年2月号

Lina Basquette’s destiny is working out very interestingly. Lina was a child star for Universal many years ago. Then she went onto the stage in New York as a dancer. Later, she married the late Sam Warner, of the Warner Brothers organization. Several month ago she decided to return to the screen, and took part in a Vitaphone prologue that her husband supervised.

Following Mr. Warner’s death, she continued with her career and has now been signed up by Cecil DeMille for featured parts.

Picture Play Magazine 1928 February Issue


『毒流』(Shoes、1916年)にヒロインの妹役(左)で出演
『ポルチシの啞娘』(The Dumb Girl of Portici、1916年)
病魔に侵された母親にすがる娘役

1910年代後半、ユニヴァーサル社にてレナ・バスケット(Lena Baskette)名義で子役デビューし一定の実績を残しました。同社の女優監督の先駆けであるロイス・ウェバーとも縁が深く、1916年の『毒流』ではヒロイン(メアリー・マクラーレン)の妹役で出演。また、クレジットされていないもののウェバー監督がアンナ・パヴロワを主演に撮った『ポルチシの啞娘』にも出演。作品前半部、主人公たちのやりとりの背後、病に冒された母親にすがる少女がリナさんでした。


ワーナ―四兄弟は突如としてトーキー映画ビジネスに足を踏みこんでいく。プロジェクトの責任者となったのはサム・ワーナー。サムは手始めにブルックリンにあった古いヴァイタグラフ社撮影所をトーキー映画撮影対応に改修した。

続いてサムは若干十八歳のジークフェルド劇団の踊り子、リナ・バスケットと結婚した。

『ハリウッドは御名により:ワーナー兄弟物語』
(キャス・ワーナー・スパーリング他共著、ケンタッキー大学出版局、1998年)

The Warner brothers had suddenly thrust themselves into the sound picture business. Sam Warner was put in charge of the project. The first thing he did was to convert the old Vitagraph Studios in Brooklyn to making sound pictures.

The second thing he did was to marry an eighteen-year-old Ziegfeld Follies dancer named Lina Basquette.

Hollywood be Thy Name: The Warner Brothers Story
(Cass Warner Sperling, Cork Millner, Jack Warner Jr., University Press of Kentucky, 1998)


その後ジークフェルド・フォリー団の踊り子として名をあげ、1925年にはサム・ワーナーに見初められ結婚。サム氏がワーナー社のトーキ―部門責任者だった経緯からリナさんも自身のキャリアアップを目論見ますが、サム氏の早世(1927年)により頓挫。遺産および一人娘の親権をめぐってワーナー側と泥沼の裁判劇が展開されワーナー社との関係は断絶しました。

アドルフ・マンジュウ等と共演した『セレナーデ』(1927年)、リチャード・バーセルメスとの共演(『獄中日記』『運命』いずれも1928年)を経てセシル・B・デミル監督と契約、『破戒』でヒロインのジュディーを演じます。

『破戒』(The Godless Girl、1928-29年)

『破戒』は1928年8月に無声版、29年3月にパート・トーキー版が公開。学生寮内で無神論者と有神論者の対立が激化し、揉みあいの中で死者の出る事態に発展。騒動の首謀者として検挙され少年刑務所に移送されたジュディ達は一旦は脱獄を成功させたものの看守に見つかって引き戻されてしまいます。物語は少年刑務所の失火~炎上でクライマックスを迎え、独房に軟禁されているジュディーやその他の登場人物たちがどのような決断を下し、どのような運命を選んでいくかを描き出していきます。

『破戒』の物語は有神論/敬神精神の勝利の発想を含むものでデミル監督の信条を強く反映しています。それでも他作(『十誡』『キング・オブ・キングス』)に比べるとキリスト教原理主義は控えめ。若い受刑者たちの置かれた劣悪な環境を告発する社会派映画風の雰囲気が強くデミル作品ではやや異色の一作となっています。

ヒロインのジュディーは既存の価値観や宗教観に反発、気の強さと純粋さを併せ持った現代風の若者でした。リナ・バスケットの勝気な雰囲気はこの役柄によくあっていて彼女の代表作となりました。

『若き世代』(The Younger Generation、1929年、フランク・キャプラ監督)

『破戒』の後も『若き世代』(キャプラ監督)など幾つか見るべき作品を残してはいますが30年代になると失速。B級西部劇でのヒロイン役を多く演じた後1943年には映画界を離れています。

[IMDb]
Lina Basquette

[Movie Walker]
リナ・バスケット