クララ・ボウ Clara Bow (エヴェリン・ホワイト孃旧蔵サイン帖 09)

エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 & サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより

Clara Bow c1928 Autograph

クララ・ボウ孃は一九〇五年八月八日紐育市ブルツクリンに生まれ、同町の公立学校で教育を受けた。幼少時より演劇に強い興味を見せ、ある有名雑誌が開催した美人コンテストに応募、易々と優勝を果たし、その結果、映画作品で端役に配された。嬢の可憐な魅力は画面映えしたため『船に打ち乗り海原指して』で大役を担い、この注目すべき作品で初めて全国区の知名度を得ることと相成つた。爾来、嬢は花形への道を駆け足で昇り詰めていく。孃は現在のアメリカの若き女性の典型であり、学生時代に人気を博す所以ともなつたあらゆる類の趣味に熱中、泳ぎの名手であると同時に優れた馬乗りでもある。身長は五尺三寸、體重十二貫七百匁、茶髪茶眼。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

CLARA BOW was born in Brooklyn, N. Y., on August 8th., 1905, and educated in the public schools of that city. From early childhood she had evinced keen interest in things theatrical and when a prominent magazine staged a beauty contest Miss Bow was an entrant and easily won first place with the result that she was cast for a small part in a film production. Her dainty charm screened so well, she was offered an important role in “Down to the Sea In Ships” and it was in this remarkable picture that she first gained national prominence. Since then she has advanced rapidly towards stardom. Miss Bow is typical of young American womanhood, indulging in all of the recreations which made her a favorite during her school days. She is an expert swimmer, and excellent horsewoman. She is 5 feet 3 inches in height, weighs 105 lbs., and has brown hair and brown eyes.

Clara Bow
“Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies”
(New York George H. Doran Company, 1925)


米誌「モーシヨン・ピクチユア」誌四月號の人氣寒暖計でクララ・バウはつひに一等になつてしまつた。彼女の有するコケテイシユな姿態とフラーテーシヨンにさても適はしき大きな眼とが勝利を得させたのである。フオツクス時代とまるで見違へる樣になつた美しさと芝居上手。彼女こそは現代のアメリカが生んだ最も典型的な現代の女である。

「クララ・バウ」
『日本映画年鑑 大正十五年昭和二年 第三年版』
(大日本雄弁会講談社、1927年4月)


一九〇六年八月五日紐育ブルツクリンにて生る。五尺二寸五分。十三貫三百。褐色の眼。一時は「イツト」によつて全世界にクララ・ボウ時代をつくる。トーキー發生後逃れ、レツクス・ベルと結婚スクリンを遠ざかりしも最近復歸し現在フオツクス・スタア。[…]

「クララ・ボウ」
『洋画総覧』(S.Yコンパニイ文芸課 編、スタア社、1934年)


『船に打ち乗り海原指して』(1922年 エルマー・クリフトン)と『春来りなば』(1923年 ルイ・ガスニエ)
『恋愛供養』(1925年 ルイ・ガスニエ)と『猿飛カンター』(1926年 フランク・タトル)
『離婚時代』(1927年 フランク・ロイド)、『アイスクリーム艦隊』(1930年 フランク・タトル)

20年代モダンガールの真打として登場し日本でも圧倒的な知名度を博したクララ・ボウ。人気のピークが1927~29年でエヴェリンさんの入手したサインはこの時期の一枚、多少幼さが残るものの愛らしくデザインされ丁寧な筆跡で書かれています。

クララ・ボウの女優キャリアを追っていった時、「イツト・ガール」として名を馳せる以前、1922~26年のキャリア形成期とそれ以降とで二つの時期に分けて考えることが出来ます。

最初期の『船に打ち乗り海原指して』(1922年)や『春来りなば』(1923年)ではカメラ慣れしておらず、与えられた役をこなすのが精一杯、自分をどう見せるかまで気持ちが行き届いていない印象を受けます。舞台経験もないまま映画界に飛びこんだ新米女優ですので言ってもこの程度。ところがこの後の成長に驚くものがありました。1925年の『恋愛供養』では下町のあばずれ女、看護婦風の役割を経て最後ウェディングドレス姿に姿を変え、どの場面にも自信と余裕を見て取れます。また『猿飛カンター』(1926年)では喜劇女優として度胸の座ったところを見せてくれました。

1927年『あれ』以降、クララ・ボウは自由奔放な赤毛女性を頻繁に演じるようになっていきました。自身の魅力、存在感を一番発揮できるパターンを見つけだした訳で、そうなるともう作品毎に細かく役柄を作りこんでいく必要はなくなります。この時期からクララ・ボウ作品を見始めてしまうと、肉感を売りにしたワンパターンな(=演技の幅の狭い)役者に見えてしまう怖さがあるな、と。それでもキャリア初期に場数を踏み、演技の基礎を一通り修めた経験は後の芸風を下支えし、彼女を「特別」な女優として最後まで輝かせ続けたと思います。

[IMDb]
Clara Bow

[Movie Walker]
クララ・ボウ