市川 百之助 [Ichikawa Hyakunosuke]

サイン館・日本・男優より

C1926 Ichikawa Hyakunosuke & Sawamura Haruko Autographed Postcard

本名は高木清秀と言ふ、明治三十八年四月十三日東京に生る。八代目市川八百藏の門下生として實演に出る。大正十五年四月日活に入社したのである尾上多見太郎主演の「金子市之亟」に直侍を演じてより中堅として重せらる。

「市川百之助 (日活)」
『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』


『長恨』(1926年)での目明し富五郎役
『忠次旅日記 御用篇』(1927年)での高崎の重吉役(左)

百々之助(もものすけ)ではなく百之助(ひゃくのすけ)。

1926年から2年程日活に在籍し、谷崎十郎や河部五郎、大河内伝次郎作品に脇役として登場。今回紹介している『長恨』&『忠次旅日記 御用篇』にも出演しているほか、『地雷火組』『建国史 尊王攘夷』のクレジットにも名を見ることができます。

今回入手したのは沢村春子との連名サイン入り絵葉書。 百之助が浪人役、沢村春子さんがその妻を演じた1927年作『半九郎捕物帳 剣』の一コマではないかと見ています。

1927年末の『忠次旅日記 御用篇』を最後に日活を離れたようで、以後は舞台での活動が主となっていきました。新國劇の創設者の一人である倉橋仙太郎がすわらじ劇団を立ち上げた際、最初の地方興行(1931年)に本名の高木清秀名義で参加 [1] 。翌年も同劇団員として御園座に出演し『尊徳と孫右衛門』『満州燈影荘』等を演じた記録が残っています [2]

[JMDb]
市川百之助

[IMDb]
Hyakunosuke Ichikawa


[脚注]

[1] 『一灯園と西田天香の生活』(福井昌雄、 モナス、1937年)

[2] 『御園座七十年史』(藤野義雄、御園座、1966年)