エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 & サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより
一八九五年ニユーヨーク市に生る
ハート・フオードのツリニテイ宗教大學卒業
演劇に興味を持ち舞臺に立ち
一九一七年ハーバードブレノン氏の映畫に入る
乗馬水泳が趣味
五尺六寸十六貫七百匁
「リチヤード・バーセルメス」
『映画新研究十講と俳優名鑑』
(全関西映画協会 編、朝日新聞社、1924年)
慍順優雅な好青年。快男兒と言はんよりは・慍かき親しさを感ぜしめる人。演技も亦映畫界稀に見るデリカシーの所有者。一八九五年紐育市に生れ・ハートフオードのトリニテイ宗教大學を中途退學して劇界に身を投じた。五ヶ年の舞臺經驗を經て・一九一七年アラナジモヴア夫人の「戰時花嫁」に依つて映畫界に入り・グリフイス氏に依つて現在の地位を得る基礎を授けられ・今日ファースト・ナシオナル社のスターとして多大の人氣を負ふて居る。近頃イタリーに於てリリアン・ギツシユ孃と「ロメオとジユリエツト」を製作中。
代表作 – 「結婚難」「七羽の白鳥」「散り行く花」「感化院の娘」「渇仰の舞姫」「東への道」「乗合馬車」「經驗」「靈魂の呼ぶ聲」「激怒」
「リチアード・バーセルメス」
『映画大観』
(大阪毎日新聞社 活動写真研究会 編、春草堂、1924年)
リチャード・バーセルメスの名はグリフィス作品を通じて日本の映画愛好家にもよく知られています。端正さ、柔和さと温かみを兼ね備えた雰囲気は「慍順優雅」と呼ぶに相応しく、メロドラマのリード役として他の追随を許さないものがありました。
記憶をさかのぼっていくと『散り行く花』と『東への道』を初めて観たのが高校生の時、早くから顔と名前が一致していた無声映画男優ではありました。ただ、当時は自身の役割を過不足なく演じる優等生タイプの役者さんの印象が強かったです。グリフィスの演出を優れていると感じる機会が多々あっても、バーセルメス自身を真の意味での名優だと思ったことはない、が正直な所でした。
その後、1920年代~30年代初頭の出演作を見ていく途上でこの見方は覆されていくことになります。
いわゆるマチネー・アイドル的な立ち位置を早い段階で手放し性格俳優へと転向。汚れ役・悪役などを演じる機会こそありませんでしたが、心に、あるいは身体面での弱さを持った難しい役どころを積極的に引き受けていくようになります。彼の資質を最大限に、時に鬼気迫るレベルで引き出したのが『乗合馬車』(1921年)であり『幻の家』(1925年)であった、と今は見ています。
[IMDb]
Richard Barthelmess
[Movie Walker]
リチャード・バーセルメス




