サイン館・ドイツ/オーストリア より
2014年頃、ドイツの古書店のオンラインショップで「イルマ・バウアー?(Irma Bauer?)」の商品名で売りに出されている絵葉書を見つけました。1910年代末~1920年初頭と思われる一枚で、当時にしてはまだ珍しいベリーショートの髪型で、同一デザインのネックレス/ピアスを毛皮にあわせています。名の知れた女優さんだと踏んだのものの、予想に反していくら調べても身元が判明しませんでした。
數年間伯林家庭劇場附なりしが、後ドレスデンにてハンズ・ハインリツヒと共演して一躍名聲を馳せ、伯林のローゼ劇場に轉じて確固たる人氣を有するに至れり、斯界に入りしはルナ社に聘せられたるものにして數多の佳作あり。劇「男から少女時代に」
SERNAU, Irma: イルマ・ゼルナウ孃
『俳優名鑑 大正11年度』(キネマ同好会、1922年)
先日『俳優名鑑 大正11年度』を読んでいてイルマ・ゼルナウという女優が紹介されていてハタと膝を叩きました。「B」と読めた苗字の頭文字は「S」だったんですね。
映画女優としての記録はほとんど残っておらず『男から少女時代に』を含めたルナ社作品数作に脇役で出演。現存フィルムは確認されていません。大成した女優とは言い難く調査を打ち切ろうと思った所、彼女の名が別な文脈で記録されているのを見つけました。英ウィーナー・ホロコースト図書館のデータベースです。独ユダヤ人作家の書簡が紹介されているページで、その発生にイルマさんが絡んでいるとのこと。
ホロコースト図書館?
視点を切り替えて調査を再開。すると1930年代の亡命ユダヤ系知識人を扱った文献にイルマさんの痕跡を複数見つけ出すことができました。以下はそれらの情報をまとめたものです。
イルマさんは女優業と並行しモード雑誌の編集に携わっていました。姉のローラ・ゼルナウは作家リオン・フォイヒトヴァンガー(1920年代のベストセラー本『ユダヤ人ジュース』著者)の秘書をしており、イルマさんもドイツのユダヤ系知識人コミュニティーと少なからぬ接点を持っていました。
イルマ・ホワイト(旧姓ゼルナウ)はローラ・フム・ゼルナウの妹に当たり、結婚後に英国籍を取得した。ベルリンで女優として、またモード雑誌編集者として知られていた彼女は姉ローラを追って仏サナリー(・シュル・メール)に居を移した。
「不思議だらけの小箱」
フランソワーズ・ペルノ&クリスティアーヌ・ホック
Irma White, née Sernau, est la soeur de Lola Humm-Sernau, elle avait obtenu la nationalité britannique par mariage. Elle était connue à Berlin comme comédienne et éditrice de mode et avait suivi sa soeur à Sanary.
Une cassette pleine de questions
Françoise Pernot & Christiane Hauck
1930年代にナチスが政権に就くと、これらのユダヤ系知識人は迫害の対象となっていきます。イルマさん(英国人と結婚後に名がイルマ・ホワイトに代わっています)はロンドン住まいをしつつ、ドイツ国内の友人の亡命の手助けを行っていました。この際に亡命先に選ばれたのが南仏の港町サナリー=シュル=メール。多くの作家(トーマス・マン、リオン・フォイヒトヴァンガー、アルノルト・ツヴァイク他)が短期~長期滞在したユダヤ人コミュニティーの中心地で、イルマさんもまた姉を追う形で1939年に生活拠点を移しています。
しかしながらフランスも安住の地ではありませんでした。
1940年5月にドイツがフランスに侵攻、親独政権が誕生するとサナリー=シュル=メールのユダヤ人は「治安を脅かす」「要らないよそ者」と見なされるようになります。イルマさんは姉のローラ、作家フォイヒトヴァンガーの妻マルタらと共に収容所に送られます。スイス人と結婚していた姉ローラさんがスイス政府の尽力によって救出された際、イルマさんも同時に助けられ同国で終戦を迎えています。その後、南スイスのアスコナで亡くなり埋葬されたそうです。
特定されず10年近く放置されていた一枚の絵葉書。そこに映っている女性は女優でありモードの専門家であると同時に、自らの命を危機に晒しながら同胞を守ろうとした活動家でもあった。
「戦前女優」の大きな枠組みには多種多様な生き様が含まれており、イルマさんのケースもまた確かに一つのあり得る形です。ヴィシー政権下の南仏におけるユダヤ人強制収容の実例、具体例に接したのは今回が初めてで色々と考えさせられました。
[IMDb]
Irma Sernau
[Movie Walker]
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【参考文献&参照サイト】
- 『マルタ・フォイヒトヴァンガーの4つの生涯:伝記』マンフレート・フリューゲ著 (アウフバウ社、2008年) Die vier Leben der Marta Feuchtwanger : Biographie, Manfred Flügge (Berlin : Aufbau, 2008)
- 「不思議だらけの小箱」フランソワーズ・ペルノ&クリスティアーヌ・ホック Une cassette pleine de questions, Francoise Pernot & Christiane Hauck (https://www.mahnmal-koblenz.de)
- 『リオン・フォイヒトヴァンガー – エヴァ・ファン・ホーボーケンへの手紙』(スプリッター社、1996年) Lion Feuchtwanger – Briefe an Eva van Hoboken (Edition Splitter, 1996)
- 「アルノルト・ツヴァイク/ジョイス・ワイナー往復書簡」(英ウィーナー・ホロコースト図書館)Arnold Zweig: copy correspondence to Joyce Weiner (The Wiener Holocaust Library) https://wiener.soutron.net/Portal/Default/en-GB/RecordView/Index/70656

