1939 Shochiku Kamata Studio Collected Autographs (including Gosho Heinosuke, Tanaka Kinuyo, Sawa Ranko et al.)
昭和2年(1932年)前後、松竹蒲田スタジオスタッフの寄書き入り色紙。裏面に手書きで7人の名が記されています。
1)五所 平之助
2)田中 絹代
3)竹内 良一
4)澤 らん子
5)香川 京子 ×
6)花岡 菊子
7)山内 光
5番目の名前は後年に鉛筆の横線を引かれ×が付されています。確かに、時期的にも香川京子さんはないですよね。こちらは1930年代に松竹で活動していた絹川京子さんのサインでした。

(1)五所 平之助 [Gosho Heinosuke]
五所平之助氏は俳人でもあって、色紙や短冊に残した歌が時々市場に出てきます。基本「平之助」か「五所平之助」とサインしているのですがこちらの色紙では名字が平仮名表記、しかも「ご」を「古」から派生した変体仮名を使って表記しています。
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(2)田中 絹代 [Tanaka Kinuyo]
田中絹代さんについては宇治雅一氏旧蔵の絵葉書に次いで二枚目のサイン物。ちなみに五所監督&田中絹代主演作品『微笑む人生』(1930年)の弁士用台本が手元にあるのでいつか紹介できれば良いかな、と。
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(3)澤 蘭子 [Sawa Ranko]
澤蘭子さんは帝キネ~日活の後、トーキーの時代になって松竹へと移籍、成瀬作品や清水作品などに出演されていました。帝キネ時代の『籠の鳥』に始まり、先日ブルーレイを紹介した『忠治旅日記 御用篇』などを含め1920年代の邦画の愛好家にはなじみ深い女優さんです。
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(4)山内 光 [Yamauchi Hikaru]
山内光氏は元々日活デビュー組。以前に9.5ミリ版を紹介した『陸の人魚』(1926年)が初主演作で、その後松竹へと移り同社現代劇の主力俳優へと成長していきました。
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(5)竹内 良一 [Takeuchi Ryôichi]
竹内良一氏は駆落ち事件で一旦業界を干された後、1932年に岡田嘉子さんと一緒に松竹に入社してすぐの時期に当たります。
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(7)絹川 京子 [Kinukawa Kyôko]
絹川京子さんは1931年松竹デビュー組。当時のキネマ週報では「及川道子そつくりといふ顏の絹川京子」と紹介されています(「新人オンパレイド」1932年1月1日付第92号)。一部平仮名混じりで名字を「きぬ川」とサインしています。
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『兄さんの馬鹿』広告
(キネマ週報 1932年4月1日付第104号掲載)
五所監督は北村小松原作「兄さんの馬鹿」を竹内、田中の初顏合せで飯田、絹川京子、山内、澤、水上のキヤストでパートトーキーとして製作中。
「内地スタディオ消息(1月11日現在)」
キネマ週報 1932年1月15日付第93号
キャスティング的に1932年に公開されたパートトーキー(「部分發聲」)作品『兄さんの馬鹿』に近いです。キネマ週報掲載の広告には田中、澤、竹内、山内の4名+飯田蝶子さんの名がクレジットされています。