フィルム館・9.5ミリ (伴野商店) より
昭和3年(1928年)4月29日、天長節(天皇誕生日)に行われた陸軍観兵式の模様を収めた20メートル物。冒頭を中心に一部画像が流れており汚れの目立つ状態でした。






観兵式の付随した天長節は明治になって整備された制度だそうです。当初は青山練兵場で行われており、大正6年(1917年)から代々木に場所を移しています。しかしながら大正後期になると病状悪化のため大正天皇は観兵式を欠席、摂政(後の昭和天皇)が代行で出席するようになります。
1926年(大正15年/昭和元年)は大正天皇崩御の2か月前、10月31日に摂政出席のもとで観兵式を実施。翌1927年(昭和2年)4月は服喪中のため開催されず、昭和天皇となって初めて4月に観兵式が行われたのが1928年でした。
本月二十九日代々木練兵場ニ於テ天長節觀兵式御施行被爲在場合陪觀ノタメ新聞記者、通信員及寫眞撮影者ヲ派遣セシメントスル新聞社、通信社竝ニ活動寫眞會社ハ本月十日本欄参看ノ上二十七日マテニ當該社長ヨリ陸軍省ニ願出ツヘシ
昭和三年四月
陸軍省
「天長節觀兵式陪觀新聞記者、通信員及寫眞撮影者ノ件」
『官報』 1928年4月11日
大正天皇の病状に関しては当時少なくとも噂レベルでは多くが知っていた話でした。しかしそれは軽々しく口にはできないタブーとなっていて、大正末期には天皇本人が不在、摂政のみ姿を見せている異常事態が常態化していたことになります。それは近代天皇制にとって、またそれを信じている人々にとってもストレスの多い状態でした。
近代国家「日本」を支えているシステムに生じていた歪みが解消され、タブーによる翳りが霧散し、天皇が天皇として当たり前に行事に出席できる風景が戻ってくる。人々が喜ばしく感じ、歓迎し、お祝いしていたのは「正常の回帰」だった。『昭和三年 天長節觀兵式』というフィルムは単なる皇室記録動画ではなく、そんな時代の喜びの一表現でもあったのだと思われます。

