サイン館・フランス & 映画史の館・フランス より


『皇帝陛下の使者』関連資料2点。左は『独ゴーモン映画週報』(Kinematographische Wochenschau、1912年8月第30号)の粗筋紹介頁。右は仏国立図書館(BnF)所蔵の提出用概略
軍を率いたナポレオンがスペイン遠征の途上、ピレネーの山沿いの館に数日の宿を借りることとなつた。地元の公爵が所有せるもので、公爵亡き後はその未亡人が館を切り盛りしていた。過酷な移動の合間、ナポレオンは束の間の休息を楽しんでいた。公爵の未亡人は社交的で話術にも長けており、ナポレオンは次第にその魅力に惹かれていく。
蜜月は長くは続かなかった。スペインでの戰況惡化の報を受け、皇帝は配下と共に慌ただしく出發の準備を始める。未亡人の要請を受け、ナポレオンは「戦場から手紙を送る」の約束を殘して館を去つたのであつた。
戰場で指揮を執りつつも約束を忘れてはいなかつた。ナポレオンは太鼓叩きの青年を伝令士とし伝言を届けさせることに決めた。武勲を上げての凱旋を夢見ていた青年にとって不本意な仕事であつたが、皇帝の命とあらば…と戰場を後にする。しかしながら徒歩での移動は困難を極めた。草むらに隠れていた敵兵に認められ、銃撃を受け深い手傷を負う。城館までたどり着いたものの門前で意識を失い血の沼に倒れこむのであつた。
戰が一段落つき館へと戻つたナポレオン。しかしながら未亡人はうつむきがちで、皇帝の帰還を喜んでいるようには見えなかった。説明を求めると女は寝室にかかっていた帳を開いた。ベッドに眠つていたのは包帯に巻かれた若き伝令士であつた。一命をかけ任務を果たした青年の手当てをしているうち、心移りを拒むことが出来なかったのである。
寵愛を裏切つた責を負う覚悟はできているようだった。状況を察したナポレオンはしばしの沈黙の後、胸にしていた勲章を外し未亡人に託す。命を賭けて任務を果たした青年の忠心に報い二人の仲を認めたのであつた。
『皇帝陛下の使者』は1912年(大正3年)に公開された仏ゴーモン社初期秀作のひとつ。スペイン遠征を背景とし、ピレネー山脈付近でロケ撮影された美しい自然描写を織りこみつつ、ナポレオン/未亡人/青年それぞれの交錯する思いを綺麗な人情物にまとめていました。
フランス語には「ノブレス・オブリージュ」の表現があります。「身分の高い者ほど倫理観を高く持ち、社会に資さなければならない」の考え方です。権力者が横暴を振るうケースがしばしば見られたからこそ歯止めを欠けるために必要となった社会の知恵でもありました。
本作にもこの発想が含まれています。国家の最高権力者の信頼を裏切った…という話で投獄もありえる展開ですが、ナポレオンが部下の忠義心を評価し自らは身を引いた流れが作品の肝となっています。監督はジョルジュ・アンドレ・ラクロワ。当時のゴーモン社では同僚のルイ・フイヤード監督と並び優れた作品を残している名匠です。
残念なことに『皇帝陛下の使者』については配役データが残っていません。当時ゴーモン社が作成した資料が幾つかあるものの、どれもキャスティングに関わる言及は含まれていませんでした。1912~14年頃のゴーモン社は花形俳優を複数抱えていて、若手女優(シュザンヌ・グランデ、ファビエンヌ・ファブレージュ、イヴェット・アンドレヨール)、若手男優(ルネ・ナヴァール)、ベテラン女優(ルネ・カルル)、子役(ルネ・ダリー、シュザンヌ・プリヴァ)中心に興行を回していました。ところが『皇帝陛下の使者』はこの定番の面々と違う男女優を使っているようなのです。
とは言えナポレオン役やその恋愛対象の未亡人役に無名の素人俳優を使うとは考えにくい…この数年調査を進めていたところ未亡人を演じたのは舞台女優モンナ・デルザ(1882 – 1921)だろう、の結論になりました。
1910年の舞台劇『狂へる処女(La Vierge Folle)』の主役で当たりを取り、第一次大戦前~戦中期に人気を博した女優さん。この時期のフランスでは卵型の面立ち、垂れ目気味のおっとりした雰囲気の女優(ガブリエル・ロビンヌ、ユゲット・デュフロ)にアイドル的な人気がありました。モンナ・デルザも同系統に属しており、正直、正面姿だけでは他女優と区別しにくいです。ところが首筋の細さ、頭の形、ふわっとした髪型で構成されるシルエットが独特で、斜めから角度を付けると見え方が全然変わります。


左の写真は『皇帝陛下の使者』(GPアーカイヴ収蔵プリント)の細部で、作品前半に未亡人がナポレオンと戯れている場面より。右は同時期のルーランジェ写真館撮影のポートレート写真(仏国立図書館所蔵)。


モンナ・デルザの強みは立ち姿の雰囲気です。『皇帝陛下の使者』には窓際でナポレオンの出立を見送る描写が含まれています。窓枠を構図に組みこみ、南仏の強い自然光を逆光で使い、腰の位置をやや高めにとったシルエットを強調しています(写真左)。今回サイン物を入手した絵葉書は1911年の舞台劇『彼の娘』(Sa Fille)出演時の一枚で、この角度からだと綺麗に撮れると分かって撮影していますよね。映画も同じで、女優の最良の角度を生かしつつ物語の流れに噛みあわせたと分かります。
モンナ・デルザは舞台女優としての成功以前にパテ社映画に2作出演。記録にはなくともその後ゴーモン社の求めに応じもう一作出ていたのかな、と。仮説の当否はともあれ完成度の高い人情ドラマに変わりはなく、早世したラクロワ監督の実力を知るにはうってつけの作品です。
[IMDb]
Monna Delza
[Movie Walker]
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