情報館・ノベリゼーション [日本]より
第一次大戦下のドイツ。国全体が高揚感に満ち溢れ、愛国心を鼓舞するフレーズが氾濫する中、絶え間なく「死」と直面せざるを得なくなった青年兵たちの日常を生々しく描きあげた反戦映画古典。ドイツ語の原作小説(”Im Westen nichts Neues”)が昭和3年に公刊されており、翌年には秦豊吉氏による日本語訳が出版されていました。それとは別に1930年の映画化に併せてトーキー文庫版として流通していたのがこちらです。
遂にケムメリツヒは、咽喉をごろごろと喘鳴させ初めた。それが、死の近い知らせだと知ると、パウルは慌てて部屋をとび出して、右往左往して軍醫を探し廻った。
漸く白い上張りを着た軍醫が向ふからやつてくるのを見付けると、パウルは急いで走りよつてつかまへた。
『すぐ來てください、フランツ、ケムメリツヒが死にさうなんです』
軍醫は彼の手を振切つて取合はうともしない。
『あれは絶望なんだから手の下しやうがない、忙しいのにそんな者に構つてゐられるものか』
と言ひすてると、さつさと立ち去つた。
『西部戦線異状なし』1930年 トーキー文庫版
急にケムメリヒは呻いて、咽喉をごろごろ鳴らし初めたのである。
僕は飛び起きて、部屋の外へころがり出て、
『何處かに軍醫はゐないか、軍醫はゐないか』と訊ねてみた。
すると僕は丁度あの白い上張りを着た人を見付けたので、しつかり摑まへて
『すぐ來てくれ給へ、フランツ・ケムメリヒが死にさうです』
軍醫は僕の手を振り放して、傍に立つていた看護卒に『一体何だ』と訊ねた。
看護卒は『第二十六號寝臺、上腿切断です』と答へたものである。
すると軍醫は鼻の先であしらつて『そんな者だれが構ってゐられるか。俺は今日五本も足を切つてるぞ』と僕を側へ押し除けて、看護卒に向つて『君見てやれ』と手術室の方へ馳け出した。
『西部戦線異状なし』ルマルク著、 秦豊吉訳 (中央公論社、1929年)
原作は一人称を用いているため物語世界に内省的な深みが与えられています。またケムメリヒの死の場面は、後に休暇を取ったパウルが戦友の死を家族に伝えにいくエピソード、そして「苦しまずに亡くなりました」の嘘をあっけなく見破られる流れへと繋がっていきます(映画版&ノヴェリゼーションでは省略)。原作の方が出来事や感情の複雑できめ細かな連関をしっかり展開できているのは言うまでもありません。とはいえ映画に忠実にまとめたトーキー文庫版も悪くない出来映えでした。
ちなみにトーキー文庫は1929年末頃から1931年前半頃に公刊されていました(当初は春江堂から、後に映画研究會)。『斬人斬馬剣』『仇討浄瑠璃坂』『不壊の白玉』『撃滅』『無憂華』など、これまで知られていた作品は全て邦画作品。『西部戦線異状なし』は実物を確認できた初めての国外物でした。中央公論社からの秦豊吉訳は「出版界未曾有の好成績を収めた」(『日本出版大觀』、出版タイムス社、1930年)とされるなど昭和初期の日本に大きなインパクトを与えた一作で、映画業界でも当時から特例的に扱われていた作品だったと分かります。
[IMDb]
All Quiet on the Western Front
[JMDb]
西部戦線異状なし
[著者]
映畫研究會
[発行所]
映畫研究會
[印刷所]
村山鐘次郎
[フォーマット]
17.0 × 12.0 cm、トーキー文庫
[出版年]
1930年12月




