情報館・ノベリゼーション [日本]より
煙の登る小屋の中には五十を過ぎた、胡麻塩頭の男が、もう炭釜の火は引いて仕舞つたらしい火の消えた炭竃の前で、炭俵を結はえる繩を綯うてゐるのだつた、そして其處の横の山の裾の岩の上では十二三の少女が野菜を洗つてゐるのだつた、淸洌な水が自然の岩漕を作つた窪みの處へ淨み切つて湛へられてゐるのであるそして小娘の跼んでゐる頭の前には岸壁を辷る小瀑布が氣味のよいほどの落下を見せてゐるのである。
群馬県の榛名山の山小屋、父親と二人の娘が炭焼きで生計を立てていた。姉の名をお春、妹をお秋といった。ある秋晴れの日、写生の旅の最中に迷った都会の青年・浩三が一夜の宿を求めてきた。炉を囲んで聞かされた都会の話はお伽噺のように姉妹を魅了した。とりわけ姉のお春は憧れ以上の感覚を覚えたようであった。
翌朝、青年は「是非東京へ來て下さい」の言葉を残して茅葺きの家を去った。数日後、浩三から礼状と婦人雑誌が届くに至って姉妹の胸の高鳴りは最高潮を迎えた。何とかして旅費を工面し浩三と銀座の大通りを歩きたい…二人は上京を夢見ながら鶏卵の売上を貯めていく。そんな或る日、再度の浩三からの手紙を受け取ったお春は思いをこらえ切れず、唯一の晴れ着に着替え家を飛び出てしまうのであった。
上野駅に到着、お春は一路浩三が住んでいる神田の下宿へと向かった。再会を喜んだのも束の間、青年が本性を現すまで時間はかからなかった。一見好青年風の容貌の奥には婦女子を誘惑し、巻き上げた金で酒に溺れる不良青年の本性が隠れていた。身の危険を感じたお春は下宿を飛び出ると驟雨の中を当て所なく歩き続けた。疲労と寒さに倒れたところを長屋住まいの女・おしまによって見つけられ一命を得た。
一方、信濃の地には音沙汰のない姉を案じているお秋の姿があった。父に相談の上、姉を連れて帰る心づもりで東京へと向かう。浩三と再会を果たし、行方を絶ったお春を探し始める…
1921年に公開された初期松竹作品の小説版。都会の学生・浩三にたぶらかされ出奔する姉のお春役に栗島すみ子、妹のお秋に三村千代子、浩三に諸口十九が配されています。
JMDbのデータにもあるように牛原虚彦が監督を務め、伊藤大輔氏の手による脚本を映像化した一作。小説版のクレジットを見ると助監督で島津保次郎氏も参加していたようです。牛原・伊藤・島津の各氏とも映画界に関わり始めてから一年も経たないキャリア最初期の作品に当たります。撮影を担当したのは『路上の霊魂』等で知られる水谷文次郎氏でした。
物語は鄙びた自然の中で慎ましい生活を送っていた一家と、都会の一青年が出会うことで引き起こされるドラマを描いたものです。ルソー風の自然賛美と自給自足生活へのあこがれが入り混じった独自の世界観が展開。また各場面の冒頭に聖書の引用がおかれ、最後もマタイ伝からの一節で締めくくられています。聖書世界が見えない形で並走している感覚は『忠治旅日記 御用篇』ともつながってくる部分です。


以前、戦前期の解説本・説明本のデータをまとめた時に1920年代前半の抜けが気になりました。
1910年代中盤から1922年にかけては何らかの「文庫」「叢書」が国外作品を紹介していました。また1925年以降は映画文庫やトーキー文庫が邦画の名作をカバーしていきます。ところが20年代初頭から中頃までの邦画(『路上の霊魂』や『不如帰』など)を扱っているコレクションがなかったんですね。何らかの理由でノベリゼーションの対象にならなかった、と見ていました。
『山へ歸る』の巻末に附された演藝文庫の一覧を見ると1921年公開の『路上の霊魂』『虞美人草』『剣舞の娘』、1922年の『金色夜叉』『海の極みまで』『不如帰』『想夫燐』『白蓮紅蓮』『野に咲く花』『許さぬ戀』など松竹作品がずらり。邦画史の黎明期にどのような物語世界が展開されていたか理解を深める一助になりそうです。
[IMDb]
Yama e Kaeru
[JMDb]
山へ帰る
[著者]
吉田絶景
[発行所]
榎本書店
[印刷所]
法令館印刷工場
[フォーマット]
14.5 × 10.5 cm、演藝文庫
[出版年]
1923年



