ドリット・ワイクスラー Dorrit Weixler (1892 – 1916)

サイン館・ドイツ/オーストリア [Germany/Austria] より

Dorrit Weixler mid 1910s Autographed Postcard

1910年代初頭、ヘッダ・ヴェルノンやヘンニ・ポルテン、ヴァンダ・トロイマンと並んでドイツ映画勃興期の最初の花形女優となったのがドリット・ワイクスラーです。ヘッダ・ヴェルノンが活劇、ヘンニ・ポルテンが恋愛ドラマを得意としていたのに対し、ドリット・ワイクスラーの主戦場は短編喜劇でした。

1914年『ドイツの英雄』より

独映画パイオニアの一人、フランツ・ホーファー監督によって見いだされた女優さんで幾つかの作品が現存。1914年『ドイツの英雄(Deutsche Helden)』ではトレードマークでもあったセーラー服姿を見ることができます。喜怒哀楽のはっきりとした、それでいて不自然さや嫌味のない演技でスクリーンを通じてどう「魅せるか」を直感的に理解していたと伝わってきます。

1914年『ピッコロ孃』より

また『ピッコロ孃』でアリス・ヘシ―や(監督デビュー前の)エルンスト・ルビッチと共演。作品後半では男装姿を披露。数年後にルビッチが『男になったら』で展開させていくクロス・ドレッシング喜劇の源流になっています。

残念なことに彼女はドイツで最初に自死を選んだ映画女優でもあります。戦中期の1915年に映画会社を移籍(ルナ映画社からオリヴァー映画社へ)、程なくして体調を崩し入院。モルフィネ中毒となり、表舞台に戻れぬまま1916年11月末に縊死体で発見されました。

独リヒトビルト・ビューネ誌に掲載された
フランツ・ホーファー監督の追悼文

無声期のドイツ語圏映画界は夭折の女優が多い点で際立っています。病死(1920年ギルダ・ランガー)、自死(1916年ドリット・ワイクスラー、1919年エルフリート・ハイスラー、24年エヴァ・マイ)事故死(1926年のルーシー・キーゼルハウゼン、29年のレナ・アムゼル)、薬物中毒(1930年マリア・オルスカ)、…それぞれ事情は異なっているものの、主演クラスがこれだけ立て続けに亡くなっている国は他にありません。1910年代半ば以降にドイツ語圏で映画が急激な拡張を見せた中で、個人(特に人生経験の浅い若手女優)に負荷が大きかった状況を反映しているのだと考えています。

[IMDb]
Dorrit Weixler

[Movie Walker]