1930年代前半 – エクラA型 9.5ミリ映写機

映写機館より

Early 1930s Eclat Type A 9.5mm Silent Projector

1930年代前半、銀座に拠点を置いていた明治貿易株式会社が教育機関・企業向けに販売を行っていたのがエクラA型映写機でした。同時期に家庭用の9.5ミリ映写機として人気を博したアルマ映写機のA型が300ワットのランプを使用していたのに対し、エクラA型は450ワットのランプを使用し大人数の視聴に対応しています。

当時桐生市が小学校向けに6台購入し配布するなど実際の活用例も記録されています。しかしながら現存する個体は少なく、現時点で確認できている限り国立映画アーカイヴがシリアル番号「1583」を所蔵、また個人が所蔵しているシリアル「1512」の機体の修理記録がオンラインに残されています。また、後述するように作家・江戸川乱歩が自宅使用していたのがエクラA型で、平井家に遺品として残された一台(機体番号不明)が雑誌で紹介されていました。

今回入手したのはシリアル番号「1872」の機体です。

モーターは国産で芝浦製作所によるもの。型番はC-7876、UMGタイプで95-100ボルトに対応。

二種類のスイッチが右側に配され、左にモーター速度調整用のつまみを配置。ちなみにこれよりもう少し早い段階の「1512」の機体は仕様が異なり、スイッチ3つが上部に、速度調整つまみが下にありました。土台部の側面にはアンペアメーター(左)と手元を照らす引き出し型のパイロットラップ(右)が備えてあります。

ランプハウス上部に光量調節用のレバー。先に触れたように元々450Wランプに対応した映写機ですが、本機には6本のフィラメントを有するマツダ社製75V500Wのランプがセットされていました。

エクラ映写機は左右非対称で、正面から見て向かって右にモーターを配し、レンズ下のメインギアに動力を伝える形になっています。レンズは無銘。本体の内部に沈みこむようなセットの仕方をします。

仏パテ社ルーラル 17.5mm映写機
「Antiq Photo.com」での紹介記事より

国産映写機では他に見られない独特のフォルム。エクラA型映写機は仏パテ社が1920年代末に市販を開始した教育機関・企業向け17.5ミリ映写機パテ・ルーラル(Pathé Rural)をコピーしたものです。レンズの固定の仕方が違う(パテ・ルーラルは外付け)のですが、この部分は仏パテ社のコック・ドール9.5ミリ映写機のデザインを借用しています。

江戸川乱歩氏旧蔵のエクラA型映写機(左。サライ.jpより)と
同氏が撮影した9.5ミリフィルム群(右。NHKアーカイブスより)

 私の映畫歴は、笑つてはいけない「ジゴマ」に始まるのだ。當時小學の何年生かであつた私は名古屋御園座に於てスコブル大博士駒田好洋(?)説明の「ジゴマ」全何巻を、どれ程の感激を以て見たことであつたか。私はそれを、同じ映畫を三晩も續けて見物に行つた程である。
 引續いて「フアントマ」「プロテア」殊に「フアントマ」の凄みに至つては、今思ひ出しても迚も迚も口中に生唾が湧くのである。

「映畫横好き」江戸川乱歩
(初出『映畫と探偵』、1926年)


 十六ミリの映写がはじまったのだ。なんでもないことなのだ。しかし、それが果たしてなんでもない映画鑑賞として終ったかどうか。その夜は何かしら家族の人たちを脅えさせるようなものが、その部屋の闇の中にたちこめていた。
 十六ミリのフィルムには伊志田家の家族の人たちが写っていた。広い庭の樹立を背景にして、余りはっきりしない人影が、五十歳ほどのでっぷりしたひげのある紳士や、その夫人らしい人や、二十二、三の美しい令嬢や、十六、七歳の可愛らしい女子学生や、腰の二つに折れたようになったひどい年寄りのお婆さんなどが、まるで幽霊のように、暗い樹立の前を妙にノロノロと右往左往していた。
 「ほら、僕の大写しだよ」
 器械をあつかっていた黒い影が、又やさしい声で言ったかと思うと、スクリーンの画面がパッと明かるくなって、一間四方一杯の大きな人の顔が現われた。まるで女のように美しい二十歳あまりの青年の顔である。[…] だが、その笑いがまだ完成しない前に、どうしたことか、カタカタと鳴っていた歯車が、何かにつかえたように、音を止めて、同時にスクリーンの巨大な美貌が、笑いかけたままの表情で、生命を失ったかの如く静止してしまった。
 美青年の技師が不慣れであったせいか、咄嗟の場合、映写機の電燈を消すのを忘れて、ぼんやりしていたものだから、レンズの焦点の烈しい熱が、たちまちフィルムを焼きはじめ、先ず美青年の右の眼にポッツリと黒い点が発生したかと思うと、みるみる、それがひろがって、眼全体を空虚な穴にしてしまった。美しい右の眼は内障眼のように視力を失ってしまった。
 一瞬にして眼球が溶けくずれ、眼窩の漿液が流れ出すように、その焼け穴は眼の下から頬にかけて、無気味にひろがって行き、愛らしいえくぼをも蔽いつくしてしまった。美青年の半面はいまわしい病のためにくずれるように、眼も眉も口も一つに流れゆがんで行った。
 「兄さま、いけないわ。早く!」

『暗黒星』 江戸川乱歩
(初出「講談倶楽部」1939年1月号~12月号』)

戦前期、エクラA型を愛用していた9.5ミリ映画愛好家の一人が江戸川乱歩でした。

著作を確認したところ1930年代に「講談倶楽部」に連載していた作品(『魔術師』『暗黒星』)に映写機が登場。モーターの動作不良でフィルムを焼いてしまう実体験を言葉として磨きあげ鬱蒼とした物語世界に溶けこませていく。単なる想像の産物ではなく9.5ミリ小型映画愛好家、そしてエクラA型映写機ユーザーの体験に基づいていたと分かります。


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