ジョージ・K・アーサー George K. Arthur (エヴェリン・ホワイト孃旧蔵サイン帖 04)

エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖より

George K. Arthur c1928 Autograph

目をキョトンとさせて丸ちつこい身體からジャケツを食出させてゐた「救ひを求むる人々」のジョージ・アーサーは馬鹿か悧口か分らぬ性格描寫に抜群の藝風を見せてくれ、以来私は彼を懐かしみかつ嘱望するのだつた。アーサーのオドケは控え目なところに強みがあるのだ。曾てフランク・ベンソンとシェークスピアの喜劇を舞臺でやつてゐたとかいふ男だけあつて、どこか演技に觀衆の心をつかむ何んとはない確かさがあるやうだ。

「ハーショルトとアーサー」
『映写幕上の独裁者』(酒井真人、中央公論社、1930年)


ロンドンに生る。サー・フランク・ベンスンの一座に入り沙翁劇におどけ役を演ず。映畫界に入り、キツプ・アーサーの名を持つて活躍す。後渡米し、パラマウント、F・N等を經てM・G・Mに入る。目下M・G・M專屬。身長五尺五寸八分。既婚。宛名M.G.M. Studio, Culver City, Calif. 出演映畫「ハリウッド」(パラマウント)「愛慾の炎」(フオツクス)「救ひを求むる人々」(U・A)「お洒落娘」「亭主教育」「お轉婆キキー」(F・N)「女房居ぬ間に」(コロンビア)「夜の女」「美人帝國」「陽炎の夢」「劔侠時代」「踊る英雄」「俺は新兵」「娘辯護士」「戀人」「俺は曲藝師」(M・G・M)

「ジョーヂ・K・アーサー」
『世界映画俳優名鑑 昭和6年版』
(映画世界社編輯部編、映画世界社、1930年)


1925年『夜の女』(モンタ・ベル監督、メトロ・ゴールドウィン)
1926年『お轉婆キキー』(クラレンス・ブラウン監督、ファースト・ナショナル)
1926年『踊る英雄』(ウィリアム・A・ウェルマン監督、M・G・M)
1929年『ホリウッド・レビュー』(チャールズ・F・ライズナー監督、M・G・M)

1920年代ハリウッドで、内向的でおっちょこちょいな青年役を演じさせると他の追随を許さなかったのがジョージ・K・アーサーでした。この種のキャラクターの需要は結構あるもので、ジョージ・K・アーサーは替えの利かないバイプレーヤーとして活躍。1920年代後半からはカール・デーンと組んだ一連のMGM作品(『俺は新兵』『俺は曲芸師』『俺は探偵』『俺は水兵』…)でフアンを増やしていきました。

上に挙げた作品でも十分な実績ですが、それだけではお茶目な個性派俳優で終わってしまう話でもあります。ジョージ・K・アーサーはそれとは別に無声映画史に残る重要作品の主演を務めていました。ジョゼフ・フォン・スタンバーグと組んだ1925年作『救ひを求むる人々』です。

この作品は「人は最後どこに心の居場所を見つけるのか」の普遍的な主題を扱っています。タイトルの「救ひ(魂の救済=salvation)」から伺えるようにキリスト教的アプローチをとっているものの、スタンバーグの脚本・演出、ジョージ・K・アーサーの演技が噛みあい、また小規模プロダクションの利を生かして妥協を行わず、宗教・国境・時代の垣根を超えた傑作に仕上がっています。

ちなみにスタンバーグ=「ディートリッヒと相性の良かったフェティッシュな監督」の立ち位置は業界で生き延びていく最終形態にすぎなかったと思われます。本作〜『嘆きの天使』(1930年)~『アメリカの悲劇』(1931年)で見られる人間の弱さを臨床的に描き出す鋭いベクトルがこの監督の真骨頂です。

[IMDb]
George K. Arthur

[Movie Walker]
ジョージ・K・アーサー