喜多川 千鶴/日高 梅子 [Kitagawa Chizuru]

日本・女優 より

Kitagawa Chizuru (aka Hidaka Umeko from the Hidaka Sisters) Late 1940s – Early 1950s Autographed Postcard

本名 喜多順子。昭和五年大阪に生る。新興キネマ時代、日高三姉妹として子役に出演。長じて美人畫家中村大三郎畫伯の推せんにより喜多川千鶴と改名。昭和二一年大映に入社。 『槍おどり五十三次』でデビュー。『七つ顏』『十三の眼』『或る夜の冒險』『博多どんたく』『春爛漫狸祭』『二十一の指紋』などに出演。現住所 京都市右京區太秦町多藪町十五。

喜多川千鶴(大映)
『映画の見方』(菅井幸雄、 大同出版社、1951年)


時代劇が専門であつた大映京都が、時代の流れに卽して現代劇製作を開始して四大スタア(阪妻、千惠蔵、歌右衛門、寛壽郎)の轉身が案ぜられたころ、彼女もその肉體的な條件があまりにも時代劇向であつたゝめ、一抹の危惧の念を抱かせたが振袖をすて、颯爽たる最新モードの洋装へ!彼女は鮮やかな轉向ぶりを示して、われわれを驚かせたものである。と同時に、そこに喜多川千鶴の新鮮なモダニテイを發見して雀躍したものである。

『大映ファン』 1949年8月号


戦後に喜多川千鶴の名で大映からデビューし、戦後すぐの時期に娘役として人気を博しました。片岡千恵蔵、市川右太衛門、阪東妻三郎、月形龍之介などの大御所俳優との共演作も多く残しています。終戦直後の時代劇受難の時代に現代劇にも多く出演、とりわけ千恵蔵と縁が深く40年代末の多羅尾伴内シリーズ、40~50年代にかけての金田一耕助物などで繰り返し助演を果たしています。

『五郎正宗』(1938年、新興キネマ)宣材写真より 左から三番目、歌川絹江に肩を抱かれているのが日高梅子 左端に木藤茂監督
「映畫情報」誌1939年新年号(國際情報社)より

元々子役出身、1930年代後半の新興キネマで活躍した「日高三姉妹」(松子、竹子、梅子)の末っ子に当たります。

[JMDb]
日高梅子
喜多川千鶴

[IMDb]
Umeko Hidaka
Chizuru Kitagawa