日本・女優 より
大正4年四月一日、大阪市に生る。本名は鷹田正子、大阪天王寺第六小学校を卒業、昭和四年九月大阪松竹少女歌劇に入る。昭和十三年三月、新興京都に入社し「怪談鴛鴦帖」にデヴイユ後「孫悟空」「旗本と町奴」「忠孝小笠原狐」「吉野勤王黨」「山内一豐の妻」「紫式部」「金比羅船」「佐竹競艶錄」「忍術息子」に出演。
雲井八重子(新興京都)
『日本映画年鑑 昭和17年度版』(大同社、1942年)
大阪松竹少女歌劇出身。同歌劇団では昭和8年(1933年)に労使紛争が勃発し、その解決後に主要団員(若山千代、滝澄子、天草美登里他)が多く脱退しています。この後再編成が行われていくのですが、その中心となったのがベテランの三笠静子(後の笠木シヅ子)であり、中堅の国友和歌子と雲井八重子でした。
昭和9年(1934年)8月から開催された新生OSSK第一回公演は『カイエ・ダムール(愛の手帖)』。雲井八重子さんはヒロイン役イヴオンヌ役を担当、服部良一&三笠静子の主題歌に彩られた同作は好評で、その勢いで9月からの第2弾公演『青春の花束』を成功させています。
同僚だった国友和歌子が映画界入りした後を追うように昭和13年(1938年)に新興京都で女優デビュー。当時の新興は女優の層の厚さ(森静子、鈴木澄子、梅村蓉子等のベテランから高山廣子や国友和歌子らの新進、子役の日高三姉妹)を売りにしており、雲井八重子は期待の若手として時代劇の娘役に配されていました。国友和歌子と共演した『旗本と町奴』(1939年)、新興が大映に吸収統合された後に出演したオペレッタ喜劇『歌ふ狸御殿』(1942年)などが出演作が幾つかソフト化されています。
[JMDb]
雲井八重子
[IMDb]
Yaeko Kumoi


