1932 – 『吸血鬼』 (カール・Th・ドライヤー監督) 米スタンダード8 『破滅の城』改題版

フィルム館・8ミリ より

Vampyr
(1932, dir/Carl Th. Dreyer)
Retitled “Castle of Doom” Standard/Regular 8 Print

戦前、特にサイレントから初期トーキー時代の多くの作品の例に漏れず、『吸血鬼』もまた不完全な形で現存している複数プリントをどう扱うか悩まされてきた一本でした。1990年代末に独伊共同で行われた修復作業における責任者の一人、マルティン・ケルバー氏が以下の文章を残しています。


ナイトレート、セイフティーフィルムによるコピー版であるかに関わらず、現存する『吸血鬼』のプリントの幾つかは「合いの子」であって、単独の完全バージョンではなく2つあるいは3つの異なった版をミックスした形になっている。本来であれば互いに別物だったはずの要素を組みあわせ、何とか完全版を形にしたいという絶望的な試みから生み出されてきたものである。英語版については、レイモンド・ロウハウアーが3つの版を組みあわせ『吸血鬼』として公開したプリントに使用された部分を除いては一切現存していないようである。このプリントはロウハウアーの遺産を管理する団体を通じて今でもまだ流通している。

「ドライヤー監督作『吸血鬼』修復をめぐる覚書」
マルティン・ケルバー(英語改訂版、2003年)
初出『フィルム』誌第7号、デンマーク映像博物館、2000年2月

Some of the existing prints (nitrates or safety duplicates) are bastards, representing not one integral version, but a mix of two, or even three of the original versions, compiled in a desperate attempt to somehow restore the complete film out of elements that don‘t really belong together. Nothing seems to remain of the English version, except for the part of it that was used in the compilation of all versions that Raymond Rohauer distributed as Vampyr, and that is still available from the organization that now runs his estate.

Some notes on the restoration of Dreyer’s Vampyr (1932)
Martin Koerber, 2003
(originally published as “Vampyr genopstår” in FILM #07, DFI, Februar 2000)


『吸血鬼』は展開する市場にあわせてドイツ語版、フランス語版、英語版の3種類が制作されました。同じ役者を使い会話の場面を3度撮り直したもので、それ以外の部分は共通の映像が使われています。しかしながら時の経過にともないオリジナル完全版の姿が失われた中で、起源の異なるプリントを組みあわせた自称完全版が流通してしまっていた状況を念頭に置いた発言です。

こういった「雑味」のある修復は近年敬遠される傾向にあって、現時点で入手することのできる米クライテリオン社版、日本で発売されているボローニャ復元版(いずれもドイツ語版ベース)は異なる起源のプリントを混在させない方針で製作されたものです。

問題は英語版。ケルバー氏が触れているように、米フィルム収集家レイモンド・ロウハウアー氏(1924-1987)が1950年代末に制作し・再公開した独自版『吸血鬼』に一部英語版由来のプリントが使われていました。しかしこの断片部を除くと35ミリ版は存在しないとされています。

ただし戦後の合衆国では『破滅の城(Castle of Doom)』と改題された英語字幕付き8ミリ版、16ミリ版が流通していたのです。確認できたかぎりスタンダート8無声版、スーパー8サウンド版、16ミリサウンド版の3種類が存在。今回スタンダード8無声版を入手。400フィート用リール×3本構成で実際の長さは400+250+350=1000フィート程でした。

第一リールは主人公が片田舎のホテルに泊まり様々な超常現象に遭遇、その後の書き残された手帳を読み始める辺りまでを収録。一部省略されてはいるもののオリジナル版の流れがほぼそのまま保存されています。

第二リールはジゼール&レオーヌ姉妹を中心としたエピソードが前半に置かれていて、特にレオーヌの接写は丁寧に追われていました。後半から田舎医者が登場し不穏な雰囲気が高まっていくものの、やや省略が目立つようになり物語のリズムが崩れてきます。

最終リールは主人公アランの白昼夢とその後の吸血鬼退治に対応。結末部に大きな改変があり、アランとジゼールが小舟で館を逃れ木漏れ日の林を歩いていく場面が完全に省略されていました。

8ミリ版は解像度に難があり、字幕や屋外撮影場面は滲んだ質感になって判然としなかったりします。一方で屋内撮影はコントラストこそ低いもののそれなりに見れるレベルで、有名な場面はあらかた網羅しており一部で言われていたほど悪いプリントではありませんでした。

『破滅の城』については、以前オンラインの某掲示板(英語)で有志による情報交換と成立過程の検証が行われていました。そちらでの情報を下敷きにしつつ、同作が小型映画市場に登場するまでの経緯を調べ直してみました。

鍵となるのはアーサー・ジーム(Arthur Ziehm)氏。

1933年4月、ジェネラル・フォーリン・セールス社設立を伝える記事(左)とその半年後に同社が『吸血鬼』の配給権を取得した旨を伝えた第一報(右)。

1934年8月、『肉に抗ふのではなく(Not Against Flesh)』の試写会を受けて掲載されたレビュー。モーションピクチャー・ヘラルド紙8月25日付(左)とフィルム・ダイアリー紙8月14日付(右)

1910年代末からサミュエル・ゴールドウィン社の輸出部門トップとして活動していた人物で、後に独立し1933年に自身の配給会社ジェネラル・フォーリン・セールス社(以下GFS社)を設立。同年に合衆国での『吸血鬼』配給権を獲得したのがこのGFS社でした。当初『肉に抗ふのではなく(Not Against Flesh)』の英題を与えられており、1934年8月にプレス向け試写会が行われ複数の映画誌にレビューが掲載されています。

1934年11月のモーションピクチャー・ヘラルド紙より。公開日(Rel. Date)欄が空欄になっています(赤線部)

ところが1934年末のモーションピクチャー・ヘラルド紙を見てみると『肉に抗ふのではなく』の行で「公開日」欄が空白となっています。実際に合衆国内の映画館で同作が封切られた記録はないため、何らかの理由でお蔵入りとなったと考えられています。

1939年8月5日付のモーションピクチャー・ヘラルド紙より

その後、アーサー・ジーム氏は自身の名を冠した「アーサー・ジーム社(Arthur Ziehm Inc.)」を1939年に設立。『破滅の城』を手掛けたのが同社でした。


アーサー・ジーム社がお届けする
カール・テオドア・ドライヤー監督の幻想映畫
『破滅の城』
吸血鬼伝説
生者と死者との霊的なつながり
撮影:ルドルフ・マテ
追加ナレーション:ランドール・M・ホワイト&アルフレッド・カッペラー

『恐怖の城』冒頭クレジット動画より

Arthur Ziehm Inc. Presents
The C. Th. Dreyer Cinema Fantasy
“CASTLE OF DOOM”
Legend of the VAMPIRE
Ghostly Link between the LIVING and the DEAD
Photographic interpretation : Rudolf Maté
Supplemental narrative : Randall M. White / Alfred Cappeler


アーサー・ジーム氏はGFS社時代にお蔵入りとした『吸血鬼』を再度取り上げていきます。独自のクレジット動画と追加ナレーションを加えたサウンド版に『破滅の城』の新しい題名が与えられました。ナレーション担当としてクレジットされたランドール・M・ホワイト氏は作家、アルフレッド・カッペラー氏はブロードウェイを中心に活躍した男優です。前者が映像を元に文章を練り上げ、後者が男性声によるナレーションを担当した役割分担です。

カッペラー氏は1945年にニュ-ヨークで亡くなっています。『破滅の城』はアーサー・ジーム社設立の1939年からカッペラー氏が逝去した1945年の間のどこかの時点で編集されたことになります。

『肉に抗ふのではなく』同様、『破滅の城』も劇場公開はされませんでした。1954年に米国のTV番組「ヴァンピラ・ショー(the Vampira Show)」第33回で『破滅の城』が放映された記録があり、この時に使用された動画がアーサー・ジーム社版だったと判明しています。

以後、1960~70年代にホラー映画史の解説書などで頻繁に紹介が行われるようになり合衆国の映画愛好家に『破滅の城』の題名が浸透、定着。アーサー・ジーム版は1980年代になっても米VHS版(シニスタ-・シネマ社)のソースとして使用され、20世紀後半の米国の『吸血鬼』受容の起点となっていきました。合衆国で劇場公開されなかった、しかも一般受けしやすいとは言えないこの作品の認知度を引き上げた点で功績は大きかったと言えます。とはいえ世紀が変わりデジタルの時代となった現在、クライテリオン社からドイツ語版オリジナルを高画質で復元した版が発売されており、『破滅の城』はその当初の役割を果たし終えたと言うことができるのでしょう。


一点気になったのは、『破滅の城』が下敷きにしたプリントの問題です。この点については今まで分析されたことはありませんでした。

『吸血鬼』は独・仏・英語版の3種類の版が制作されており、このうち英語版は断片を除き遺失したとされています。『破滅の城』が1930年代初めにGFSによって輸入されたプリントを元に編集されたのであれば英語版をベースにした可能性もある訳です。現行のドイツ語版ベースの修復版と異なる点(別テイク)が見つかれば英語版初期形を推察していく手がかりになります。

具体例として、作品の結末部に近いレオーヌの「解放」場面のリップシンキング(セリフに対応した唇の動き)を見ていきます。

デジタル復元版より。吸血鬼が退治された後ベッドに横たわっていたレオーヌが口を閉じながら身を起こす場面(左)と「元気(stark)」と発声した場面(中央)、最後に「自由/解き放たれた(frei)」と発声した場面(右)

「魂が解き放たれたようだわ」と訳されている部分は2つの文章「元気が出てきたわ…私の魂が解き放たれたの!(Ich fühle mich stark… Meine Seele ist frei!)」に分かれており、動画での唇の動きもそれに対応、「stark(シュターク)」「frei(フライ)」の二ヶ所で唇が縦に開いて母音の「a」を発声しているのが分かります。

英語版で差替え映像が使用されているのであれば唇の動きが変わるはずです。例えば「stark(シュターク)」を「strong(ストロング)」、「frei(フライ)」を「free(フリー)」と英語訳して演じ直したとすれば「o」と「i」の母音が発生するため唇の開き方に差が出てくるはずなのです(アーカイヴ.orgに収蔵されているサウンド版8ミリで対応する女性の台詞を確認すると確かに「My soul is free」の音声が含まれています)。

ところがスキャンした『破滅の城』の対応場面には予想された変化が見られませんでした。レオーヌが発声している二つの文章のそれぞれ最後の音節ではいずれも「a」の形に唇が開いています。クライテリオン社復元版と同じ唇の動きをしているのです。『破滅の城』には他にも登場人物が台詞を口にする場面が含まれているのですがそちらも同様。俳優が英語の台詞を口にしていると断定できる別テイクは一つも含まれていませんでした。

復元版(上段左)と8ミリ版(上段右)の対応場面を重ねて、一方の透明度を0→100%に、もう一方を100→0%に変えたサンプルGif画像

さらに8ミリ版とクライテリオン修復版の対応場面を重ねると完全一致。別テイクであるなら衣類の陰影や人物の角度などにごく僅かな変化が現れそうなものです。そういった有意な違いが一切見られません。1930年代末~40年代前半にGFS社が編集した『破滅の城』の発声場面、少なくともその映像部はドイツ語版と同一でドイツ語の演技が記録されている。8ミリフィルムの精査から導き出せるのはそんな結論です。

この結論が何を意味するのか。ここからは解釈の問題となってきます。1)アーサー・ジーム社が編集に使用したプリントはそもそもドイツ語版だった。2)英語版は音声部のみダビングで英語が使用されていたものの、映像部はドイツ語版と共通のものを使いまわしていた。どちらの可能性もあり得ると思います。

1)の説を補強するのは設立当初のGHS社の配給状況です。アーサー・ジーム氏が自身の会社を立ち上げた際、優先して輸入していたフィルムはドイツ語圏作品で、なおかつドイツ語版を輸入、合衆国内のドイツ系移民を対象に上映を行っていたという証言が残されています。確かにそうであるならドイツ語版を輸入した理由にはなります。また戦中期に『破滅の城』を編集した際に英語ナレーションを追加で入れた(=入れざるをえなかった)理由も説明できます。

主人公アランの収まった棺の蓋部分の描写。左はドイツ語版ベースの復元版。右は後年に編集された「合いの子」版に収録されているフランス語版由来の別テイク

『破滅の城』がドイツ語版ベースだと考えていくと他にも解ける謎があります。『吸血鬼』の後半部には主人公アランが棺に収まった自分自身の姿と対峙する有名な場面が含まれていました。この時、棺を蓋う蓋には謎めいた文章が書かれています。ドイツ語版ではドイツ語表記、フランス語版でもフランス語表記になっているのですが、『恐怖の城』ではこの場面が丸ごと削除されています。輸入したのがドイツ語版であったため英語環境にあわせようと意図的に削除したと考えれば辻褄があうのです。

一方で2)の可能性も完全に否定できません。根拠となるのが先に画像で紹介した1934年8月の『肉に抗ふのではなく』プレス向け試写会のレビューです。


『肉に抗ふのではなく』には英語音声がダビングされ 英字の説明字幕も付いていて筋立てはクリアに説明されている。

フィルム・ダイヤリー紙8月14日付、『肉に抗ふのではなく』紙上レビューより

[…] it has been dubbed with English voices, and an English version of the manuscript titles that clearly explain the plot.

Not Against Flesh
The Film Diary, 1934 August 14th Issue


また冒頭に引用したマルティン・ケルバー氏の「ドライヤー監督作『吸血鬼』修復をめぐる覚書」では、発声部分の動画差替は最低限に抑えられており、仏版プリントの音声だけがフランス語に差し替えられ、映像部分はドイツ語仕様のままであったケースが指摘されていました。英語版でも同様の状況が発生していたのは想像に難くありません。

ドイツ語版、それとも英語版。現時点で決定的な証拠は見つかっておらず真相解明は今後の研究次第です。

『破滅の城』は比較的古い時期に編集され、なおかつ輸入元や編集に関わった人物名まで判明している点で一定の資料価値を有しています。これから諸プリントの生成過程研究(現在フランス語版の修復が行われているとされています)が進む中で一次資料として分析対象とされる機会も出てくるでしょう。ドライヤー監督、あるいは『吸血鬼』の愛好家は頭の片隅に留めておいて損はなさそうです。


[参照リンク]

「ドライヤー監督作『吸血鬼』修復をめぐる覚書」 マルティン・ケルバー(英語改訂版、2003年) [英語]
『破滅の城』(193?年) 『吸血鬼』英語吹き替え版 [英語] … 有志による『破滅の城』成立過程の検証スレッド
『破滅の城』 … 1980年代末のVHS版(スーパー8版ベース)のデジタル化動画。

[IMDB]
Vampyr
Castle of Doom (1954年にThe Vampira Showの1エピソードとして放映された回が単独でエントリーされています)

[Movie Walker]
吸血鬼

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