1936 – 35mm 『鞍馬天狗 宗十郎頭巾』(新興キネマ、仁科紀彦監督) 1930年代後半 朝日堂 玩具映写機用 青色調色プリント

フィルム館・28 & 35ミリ & 映画史の館・日本より

Kurama Tengu : Sojuro-zukin
(1936, Shinko Kinema, dir/Nishina Norihiko)
Mid 1930s Asahi-Do 35mm Print for Toy Projectors

久しぶりの幕末物である。此の種の題材は事變以來製作を中止されてゐたもの丈けに珍らしい。舊知に再會した感じである。脚色に綾がないから所謂話術としては妙味がないが、監督の手さばきが確かだから筋の混亂だけはまぬかれた。

「新映画批評欄:鞍馬天狗 宗十郎頭巾」
キネマ週報 第280号 (キネマ週報社、1936年11月6日付)


嵐寛による鞍馬天狗として通算16作目となる新興キネマ1936年度作品。

1930年代の玩具映写機用フィルムで時折見られる青い調色を施された35ミリプリントで、先日地球印の映写機を紹介した山形県在住山下實氏の旧蔵フィルムです。冒頭のタイトルおよびクレジットが欠落。

元々1935年のお盆公開にあわせ、山本松男監督の元で撮影が開始されたものの諸般の事情から一旦製作が中止され、監督を仁科熊彦(紀彦)氏に変更する形で翌1936年秋に公開にこぎつけています。


 この人間ならば、荒井田猛の斬られた夜、目明しの長次の門口から聲を掛け、お艶に追はれて顏を見られた美男の侍です。千本の通を眞直ぐに下つて來ると、壬生の新選組の屯所へ來て、潜りを開けて入りました。[…]
「お!」
 何に氣がついたのか、一人が急に、驚いたやうに、
「内海さん。」
「……」
「斬つて來ましたな。血だ!」
 當人も気がつかなかつた。袖に、黒く油のやうに滲みてゐたのです。内海は切長の目でそれを見たが、黙ってゐます。
「どこで?何です、相手は。」
「いゝや、私が斬つたのぢやない。」
「さいぢやない。隠すことはないでせう。立派な返り血だ。」
 内海は、無言で笑ひながら首を振つてみせただけです。

『鞍馬天狗 宗十郎頭巾』
(大佛次郎、1935年、博文館)


原作版小説は、同志・荒井田の殺害事件の嫌疑を受けた鞍馬天狗が自らの潔白を晴らす内容となっています。敵方の離間工作で浪人組の結束が次第に崩れていく様子が描かれ、時代劇の枠組みを維持しつつもスパイ小説風の要素を多分に含みこんでいます。何を信じるべきか、誰を信じるべきか、そしてどう信じるのか…鞍馬天狗の葛藤、そしてそれを解決していく一つ一つの判断が物語を作り上げていきます。鞍馬天狗が剣を抜いて人を切る場面は結末部のみ。

それではチャンバラ映画として成り立たないため映画版は勤王派(新選組?)に襲撃される場面を追加しており、今回入手したフィルム断章がそれに対応。

寺の境内と思しき一角、杉作少年と共に休息をとっていた鞍馬天狗を敵対勢力が急襲。一旦動きが落ち着き、おもむろに笠を取って投げ捨てると刀を抜き斬りあいが始まります。互いに移動しながら戦いの場は市街地へ。

追手を振り切った鞍馬天狗が杉作少年と並んで歩いている場面。笠に手をかけたまま視線を上げ、「新選組屯所」の提灯に目をやる場面でフィルムは終了しました。

封切り時のキネマ週報批評欄では「鞍馬天狗は夢遊病者のやうに、獨り天下でチヤンバラをやつてゐる。[…] 幸ひこ此種の映畫には經驗のある仁科監督は、あら筋を押さへて處置したから、筋の混亂丈けはまぬかれた」とあります。映画版で追加された剣戟場面が物語の流れと上手く噛みあっていない印象を与えた様子が伝わってきます。それでも東亞キネマ以来、特に右門捕物帖シリーズで縁の深い仁科監督が担当した一作でもあって演出~編集は綺麗にまとまっていました。アラカンの剣戟を単体で楽しむには十分ではないかと思われます。

前半、刺客が次第に包囲網を狭めていく場面では大きな柱の並ぶ構図が上手く使われていました。柱の太さ、土台の形からロケ地は南禅寺三門と考えられます。最後に「新選組屯所」として登場してくる建造物も同寺の勅使門です。

[JMDb]
鞍馬天狗 宗十郎頭巾

[IMDb]