バーバラ・スタンウィック Barbara Stanwyck (1907 – 1990)

サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより

Barbara Stanwyck
Late 1930s Autographed Postcard

一九〇七年七月十六日紐育ブルツクリンに生る。三歳よりダンスを學び、最初キヤバレイに働き、ミユージカル・コメデイの舞臺に入り、ジーグフエルドにも出演、一九二九年「壁の中の聲」にて映畫界にデビユウす。出演映畫「壁の中の聲」「近代脱線娘」(U・A)「希望の星」「十仙ダンス」「奇蹟の處女」「たそがれの女」「風雲の支那」(コロムビア)「禁断の華」「夜の看護婦」「母」「女囚の意氣地」「紅唇罪あり」「相寄る魂」(W・B)「ガルシヤの傳令」(廿世紀フオツクス)「愛の彈丸」「花嫁の秘密」(ラヂオ)「愛怨二重奏」(M・G・M)未輸入映畫「メキシコの薔薇」「ブリーフ・モーメント」「店曝し」(コロムビア)「購はれし價」「賭博する婦人」「ロスト・レデイ」「血の女」「秘密の花嫁」(W・B)「北斗七星」「紐育鼠小僧」(ラヂオ)「膝のバンジヨウ」「これは私の事件だ」(廿世紀フオツクス)「インタアンス・カント・テイク・マネイ」(パ社)「ステラ・ダラス」(U・A)

「バーバラ・スタンウイツク(Barbara Stanwyck)」
『映画俳優・脚色家・監督・撮影者名鑑 1937年版』
(金子竜一編、新映画社、1937年)


1939~40年頃の独ロス社製絵葉書に残されたペン書きの自筆サイン、パラマウント社で『大平原』~『思い出のクリスマス』に出演していた時期の一枚です。

スタンウィックの名前と顔が最初に一致したのは『レディ・イヴ(淑女イヴ)』だったと記憶しています。京都みなみ会館でプレストン・スタージェス祭が開催された時(1995年)だったのでずいぶんと古い話。あの時『レディ・イヴ』と『パームビーチ・ストーリー』、『サリヴァンの旅』を3本とも見ていて、当初のお目当てだったヴェロニカ・レイク(『サリヴァンの旅』)が期待に違わぬ良さだったにも関わらず、『レディ・イヴ』の衝撃で霞んでしまった位でした。

スタンウィックの女優キャリアには大きなピークが二つあります。

第一のピークは映画がトーキーに切り替わって間もない1930年代初頭、いわゆる「プレコ―ド期」にあたります。

デビュー間もない時点からすでに表現力に際立ったものがあって後の大女優を予感させるに十分でした。 この時期の特徴として、他の(特に清純派の)女優が受けたがらない「バッド・ガール」系の汚れ役を繰り返し演じていた点が挙げれらます。例えば出世作となった 1930年の『有閑夫人』。スタンウィックの演じたケイは都会の富裕男性の相手をして日銭を稼ぐ「パーティーガール」でした。ボカされて表現されているものの実態は愛人業で、明確に「売春婦」と言い切っている人もいます。

ダンスホールで指名客と踊って生活費を稼いでいる『十仙ダンス』(1931年)も同様。また『ベビーフェイス』『女囚の意氣地(女囚の生活)』のように生育環境や交友関係から悪事に手を染めるヒロインも演じています。看護婦という地に足のついた役どころの『夜の看護婦』でも絡んでくる酔漢を拳で殴りつけて応戦するなど、「女性はおしとやかで、男性に従うべき」の価値観を持つ一定層を苛立たせる言動が多分に含まれています。

1934年以降、ヘイズコードが実行化されることで状況は一変しました。撮影中の実物の火器の使用、作中に重火器(主に機関銃)が登場するのがNGとなり、また入浴や下着など女性の肌の露出を強調する場面も軒並み不許可となっていきます。さらにキリスト教保守派の価値観から見て不道徳な生活を送る人物が好意的に描かれたり、ハッピーエンドを迎える脚本も受け入れられなくなっていくのです。

社会・時代の雰囲気の変化に伴い、スタンウィックも路線変更を余儀なくされていきます。初の時代劇となった1935年の『愛の弾丸(アニー・オ―クリ―)』、冤罪の裁判に巻きこまれる女性騎手を演じた『紅衣の女』(1935年)、毒親役に挑戦した『ステラ・ダラス』(1937)等もこういった流れで理解していくことができます。多彩な役柄に挑戦できるようになり役者としての幅は確実に広がったものの、作品によってミスマッチを感じさせる瞬間も目立つようになってきます。

今回入手した絵葉書はこの試行錯誤の終わりがけに位置するもの。頬から顎のラインがすっきりした感じになり、細めに描いた眉、髪形、衣装やライティングも相まって華奢な品の良さを強調。時代の流れがそのままであったならこういった雰囲気の女優さんとして人々の記憶に残っていった可能性もあります。

実際にはそうはなりませんでした。

1930年代末を境にハリウッド映画は再度大きな変貌を経験していくことになります。時空間の処理、光と影の扱い方、脚本の台詞回し、人物の性格造形など技法面のブラッシュアップが行われ、それまで描けなかった物語世界を作品化できるようになっていきます。スクリューボール・コメディや西部劇といった既存ジャンルの深化が進む一方でフィルム・ノワールなど新ジャンルが誕生し、それらが観衆に受け入れられる土壌もできあがっていった。そしてこの変貌にベストフィットした女優の一人がスタンウィックでした。

『教授と美女』『淑女イヴ(レディ・イヴ)』『深夜の告白』など彼女の代表作とされる作品はこの時期に当たるものです。『淑女イヴ(レディ・イヴ)』でのペテン師ジーン、『深夜の告白』のフィリスを見ると分かるように、善悪を単純に二項対立化してどちらかに肩入れするのではなく、両者がニュアンスを持って混じりあい境目が判然としない性格造形になっています。またセクシャリティを前面には押し出さず一見無害な別の行為に置き換えてみたり、暗示や省略によって間接的に表現する手法を多用。

女優の演技としてみた時に1930年代諸作と比べ要求されているレベルが数段高くなっている。自由奔放なプレコード期と、制約の多いポストコード期の両者で現場経験を積み、どちらの見せ方/魅せ方も血肉化できていたからこそ、そのさじ加減を案配しハードルを越えることができた。戦中~戦後に優れた若手女優が次々登場してくる中で、スタンウィックが唯一無二の手練れの女優として君臨できたのはある意味必然だったと言えます。

[IMDb]
Barbara Stanwyck

[Movie Walker]
バーバラ・スタンウィック