1928 – 35mm 『裁かるるジャンヌ』 Bネガティヴ ポジ断片12葉

ファルコネッティ [Renée Jeanne Falconetti] より

La Passion de Jeanne d’Arc
(1928, Carl Th. Dreyer)
35mm Nitrate Fragments (Positive, Silent, AR 1:1.33),
derived from B-Negative = Dreyer Work Print
Ex-Collection André Bernard

2024年5月20日、南仏の港町セートから国際郵便が届きました。中には微かに日焼けした封筒が一通。

裏面には「ドライヤー監督のジャンヌ・ダルク/映画フィルム(Jeanne d’Arc de Dreyer / Pellicules de film)」の鉛筆書き。表面には「ベルナール夫妻(Monsieur et Madame Bernard)」とあります。この封筒に無造作に収められていたのが『裁かるるジャンヌ』の35ミリポジ断片でした。

封筒の表書きにある「ベルナール夫妻」は、文化遺産の保存活動により仏芸術文化勲章を2度受章しているアンドレ・ベルナール氏(André Bernard, 1934 – 2018)とその夫人である歌手のジョジ―・アンドリユさん(Josy Andrieu, 1939 – 2022)を指しています。同氏が2018年に亡くなった後に相続財産の管理を行っている人物がセートにおられ、今回、その人物と直接取引をする形でフィルムを入手しました。

フィルムの素性について事前の情報は一切なく、到着してから確認作業を開始。後述するように封筒には『裁かるるジャンヌ』ではないフィルム(35ミリネガ3枚)が混じっており、そちらを除けてから同定作業に取り掛かっていきます。

  • ジャンヌ・ダルクを演じたファルコネッティのクローズアップ 4片
  • 異端審問官の長コーションを演じたウジェーヌ・シルヴァンのバストショット~クローズアップ 3片
  • ジャン・マシュー(アントナン・アルトー)の単独ショット2片
  • ジャン・マシュー(アルトー)とラドヴニュ(パウル・ドゥロザック)が並んで写っている場面 1片
  • アレクサンドル・ミハレスコのミドルショット 1片
  • ロワズルール(モーリス・シュッツ)の指示を受けた下級審問官が拷問係に連絡するため移動していく場面 1片

フィルム断片は計12片。作品後半、髪を剃られ丸刈りにされた後、ジャンヌが審問官たちと涙ながらに会話を交わすやりとりからの断片が多いのですが、前半と中盤の断片も数枚含まれています。

フランス国内にある『裁かるるジャンヌ』の35ミリは大きく分けて次の4つのパターンのどれかに該当します。

  1. 1928年6月のプレス試写会で上映されたアンカット版で、戦中期にアンリ・ラングロワが守り切ってシネマテーク・フランセーズに収められたいわゆる「ラングロワ版」、あるいはそこから派生してきた「MoMA版」などのプリント(Aネガティヴ)
  2. 1928年10月の初公開時に上映された「カット版」、あるいはそこから派生してきたプリント(A’ネガティヴ)
  3. 1929年初頭にドライヤー監督オルタネイト・テイクから新たに作成し直したいわゆる「ドライヤー・ワークプリント」、あるいはそこから派生してきた「ロデュカ版」などのプリント(Bネガティヴ)
  4. 1985年にシネマテーク・フランセーズがAネガティヴのオスロ版をベースに再構成した「シネマテーク・フランセーズ版」

ただしこれはフィルムの動きをフランス国内に限った場合の話です。ベルナール氏のように国外に様々なネットワークを有していた人物の場合、イレギュラーな経路でフィルムを入手した可能性もゼロではありません。おそらく1)のラングロワ版か4)のシネマテーク・フランセーズ版ではなかろうか…と予想しつつも、厳密なプリントの特定は難しいだろうと考えていました。

まず分析結果を先に述べていくと、これらの断片はいずれもオスロ版をベースにした現行のデジタルリリース(米クライテリオン版、英ユリイカ・エンターテイメント版、日本の紀伊國屋書店版)と一致しない別テイクであると判明しました。つまりA/A’系統のプリントではないということです。

具体例を幾つか見ていきます。

作品上のどこに位置する場面かを明示するため、1988年に公刊された『カール・Th・ドライヤー 裁かるるジャンヌ』(ラヴァンセーヌ・シネマ誌 第367/368号、以下AsC)に収録された場面番号を付し、また米クライテリオン社ブルーレイ版のタイムラインを併記していきます。

1)ジャン・マシュー(アントナン・アルトー)とラドヴニュ(パウル・ドゥロザック)の2ショット

AsCでは1117と1118番の番号が振られた場面(字幕が途中で挿入されます)で、ブルーレイ版では1:05:25~1:05:31に対応

ジャン・マシュー(アントナン・アルトー)がジャンヌに火刑を告げた後、隣にいたラドヴニュ(パウル・ドゥロザック)が「臨終の聖体拝領を準備します」と声をかけ離れていく場面。同一のカメラで撮影されたものです。今回入手したプリントだとアルトーの右手親指は手のひらに握りこまれて見えない(左画像)のに対し、Aネガ由来のブルーレイ版では人差し指に添えるように外に出続けています(右画像)。

2)下級審問官が拷問係に連絡するため移動していく場面

AsCでは509番の番号が振られた場面で、ブルーレイ版では0:31:43~0:31:44に対応

ロワズルール(モーリス・シュッツ)が「拷問の準備をしろ」と命じたのに応え、下級審問官が向かって右に移動していくのを追った場面です。

今回入手したプリントでは下級審問官とロワズルール(モーリス・シュッツ)の位置関係がやや近く、前者が身をひるがえしたタイミングでも左端にロワズルールの法衣が一部映りこんでいます(左画像)。ブルーレイ版は二人の距離がやや離れており、下級審問官が身をひるがえした時にロワズルールの姿が見えなくなっています(右画像)。

3)コーションを演じたウジェーヌ・シルヴァンのバストショット

AsCでは48番の番号が振られた場面で、ブルーレイ版では0:05:47~0:05:48に対応する1秒ほどの短い場面

異端審問官の長コーション(ウジェーヌ・シルヴァン)がジャンヌに尋問を行っているやりとりからの一部。今回入手したプリントでは右手の中指と薬指が握りこぶし折りこまれて隠れているのに対し(左画像)、ブルーレイ版ではどちらの指もやや突き出されて一部が見えています(右画像)。

さらに細かく見ていくといずれも表情、体の傾きに違いが見られます。同一のカメラで撮影された別テイクなのです。冒頭のジャンヌのクローズアップも同様で、ブルーレイ版に収められた場面とは僅かに顔の角度が変わっています。

しかもこの3例はそれぞれ作品の冒頭、中盤、後半に当たっています。Aネガティヴとは異なる別テイク主体で構成されたある程度の長さのポジ(必ずしも完全版とは限りません)が少なくとも一本存在しており、何者かがそこから適当な場面を切り取った断片になるのです。現段階で知られている範囲において、ドライヤー監督が1929年初頭に再構築したドライヤー・ワークプリント、通称「Bネガティヴ」に由来するものと考えて良いのかな、と。


ドライヤー監督は幸運にも別な場所に保管されていた別テイクを使って全く新しいプリントを作ることができた。上映用プリントを参照し、ドライヤー監督とエディターのマルグリット・ボジェはオリジナル版とほぼ一対一で対応し、どう違うのか大半の人には分からない程の新たなネガを作り上げたのであった。

「数多き『裁かるるジャンヌ』プリント」
2018年米クライテリオン社版特典動画の音声コメント

Dreyer was able to creat an entirely new version from alternate takes, thankfully stored elsewhere. Using release print for comparison, Dreyer and editor Marguerite Baugé created a new negative which matches the original, almost shot for shot, many could not tell the difference.

The Many Versions of The Passion of Joan of Arc
The Criterion Collection Blu-ray, 2018


Bネガティヴは1929年春の撮影所火災で一旦は焼失したと見なされていました。1951年に映画史家のジョゼフ・マリ・ロデュカがネガを発見、しかし同氏は個人の趣味や価値観を強く反映させ、画面の一部を大きくトリミングしたサウンド版(通称「ロ・デュカ版」)の編集にこのプリントを使用、その後ネガの行方は再度分からなくなってしまいました。また1940年代にイタリアのコレクターが所蔵していたプリント(伊パジネッティ版)のサンプル画像が当時の書物に掲載されており、その諸特徴からBネガ由来であったと判明しています(紀伊國屋書店クリティカル・エディションの特典として収録)。こちらの伊パジネッティ版も現在の所在地、所有者は不明となっています。

ジョゼフ・マリ・ロ・デュカという人物は現在のドライヤー研究者から蛇蝎の如く嫌われており、同監督の神聖な作品を汚したユダの扱いを受けています。諸々の経緯を考えるといたしかたない側面もあるのですが、実は1点、英語圏の研究者から見落とされている功績を残しています。先にカット割りで用いたラヴァンセーヌ・シネマの第367/368号に収められたヴァンサン・ピネルの論考「ジャンヌ・ダルクの死と再生」に次の一節を見ることができます。


なにはともあれ、自身の発見に卒倒しそうになりながらもロ・デュカ氏はこのネガからポジを作成し、間にあわせの間字幕(インタータイトル)をつけ、フィルムとは別にマグネットフォンに録音された伴奏を流す形で「シネマ・デッセ」での上映を行った。このプリントはセイフティ―フィルムによるもので、画面のアスペクト比は1:1.33であった。シネマテーク・フランセーズに現在保存されているプリントの一つがそれなのではなかろうか。

上映会が予想していなかった成功を収めたのを受け、ロデュカ氏とゴーモン社はアスペクト比1:1.37のスタンダード版の作成に取りかかった。この新しいプリントは1952年のヴェネチア映画祭で初披露され、ドライヤー監督によるジャンヌ・ダルク映画の復活を促したのだが、残念なことに新たな犠牲者をも生む結果となった。

「ジャンヌ・ダルクの死と再生」 ヴァンサン・ピネル
『カール・Th・ドライヤー 裁かるるジャンヌ』(ラヴァンセーヌ・シネマ 第367/368号,1988年)

Quoi qu’il en soit, justement ébloui par sa découverte, Lo Duca fir tirer une copie qu’il intertitra avec des moyens de fortune et présenta au “Cinéma d’Essai” avec un accompagnement musical enregistré séparément sur un magnétophone. Cette copie sur support safety, avec l’image “plein cadre muet”, est vraisemblablement l’une des celles actuellement conservées par la Cinémathéque française.

Le succès public inespéré de cette sortie incita Lo Duca et la Société Gaumont à établir une copie standard. La nouvelle version, présentée au Festival de Venise en 1952, permit la résurrection de la Jeanne d’Arc de Dreyer au prix, hélas, d’un nouveau martyre.

Mort et réssurection de Jeanne d’Arc, Vincent Pinel
(L’Avant Scène Cinéma, No. 367/368, January-February 1988)


「シネマ・デッセ(Cinéma d’Essai)」 は1940年代末から50年代にかけ、リベラシオン紙の批評家ジャンデル主導で開催されていた映画配給・上映プロジェクトです。ロ・デュカ氏がこの人脈に近かったこともあり『裁かるるジャンヌ』新版はシネマ・デッセを通じて単館で上映が開始されました(1952年2月)。ピネル氏が「間にあわせ」と書いているように高いレベルの修復が行われた訳ではなく、音楽もロ・デュカ氏自身が趣味で選んだクラシック音楽をテープで流す程度のDIY感覚の強いものでした。

この上映は想定以上の反響を呼び、「戦前期名作の再発見」として大きく報道されていきます。一方、無声映画のスタイルに慣れていない戦後世代の記者たちからは「字幕が辛い」の批判が寄せられることになりました。逆に既存のクラシック音楽を流用にした点については「悪くない」の容認論もあったのです。

「シネマ・デッセ(Cinéma d’Essai)」による新プリント上映会についての新聞・雑誌記事(1952年2~3月)。左よりシネモンド誌、コンバ紙、新文学紙、ユマニテ紙。この内後者の2つの記事には上映されたプリントが無声版であった旨が言及されています

この後ロデュカ氏はゴーモン社と共に正式な修復版(1:1.37 スタンダート版)を作成、1)字幕を排してナレーション入りのサウンド版に修正し、2)伴奏に古典音楽を使用した点については、当時のフランス世論を反映したものだったのだといういうことになる訳です。

一連の流れで最も重要なのは悪名高い「ロ・デュカ版」にも実は2種類あったという話です。1)1952年2~3月にかけて「シネマ・デッセ」で配給されていた1:1.33の無声版のプリント(本稿では「ロ・デュカα版」と呼びます)。2)世論の反応を受け、ゴーモン社とロ・デュカ氏が再作成した1:1.37のサウンド版プリント(「ロ・デュカβ版」と名付けます)。

ドライヤー・ワークプリントの不幸は、結果的にこの「ロ・デュカβ版」が当時の仏映画愛好家の支持を受けて定着してしまったことにあります。「ロ・デュカα版」についてはその存在すら忘れ去られ、現時点では所在が不明となっています。ピネル論考では「シネマテーク・フランセーズに保存されているプリントの一つがそれなのではなかろうか」と「おそらく(vraisemblablement)」の表現を用いて推察されているのみですし、シネマテーク・フランセーズが同版に関する正式なアナウンスをしたことはありません。

今回入手した断片はアウトテイク主体で構成されたプリント由来で無声版、アスペクト比は1:1.33でなおかつトリミングされていないものです。現時点で知られている範囲で言うとロ・デュカα版、あるいは伊パジネッティ版の二つがこの条件に該当します。

封筒に同梱されていた35ミリネガティヴ(上段)。スキャン画像を白黒反転させたところ、1958年公開作『可愛い悪魔(En Cas de malheur)』の結末部と判明しました(中段。左から順にネガ、ポジ、現行デジタル版)。フィルムの切断時、左上から右下に僅かに湾曲する手癖が『裁かるるジャンヌ』と一致しています(下段)

しかも『裁かるるジャンヌ』 の35ミリ断片が収められていた封筒には1958年に公開されたブリジット・バルドー主演作『可愛い悪魔(En Cas de malheur)』のネガが数枚収められていました。フィルムの切断の手癖が同一で、アンドレ・ベルナール氏が同時期に同経路で入手したと断定できます。名の知れた仏映画作品のポジやネガにアクセスできる人物が1958年以降に蒐集家向けに調達してきた断片で、その意味で両者とも(即ち『裁かるるジャンヌ』も)イタリアにあったプリントというよりフランスに現存していたプリントの可能性が高いと思われます。

以上の考察を踏まえると、今回入手した12枚の断片は
1)ロ・デュカα版
2)伊パジネッティ版 のどちらかにルーツを持つプリントであり、状況証拠から言うならば1)の可能性が高いという結論に辿りつきます。

【参考文献】

  • The Spectre of “Joan of Arc”: Textual Variations in the Key Prints of Carl Dreyer’s Film
    Tony Pipolo
    Film History, Vol. 2, No. 4 (Nov. – Dec., 1988), pp. 301-324
  • The Mysterious History and Restoration of Dreyer’s “The Passion of Joan of Arc”
    T. A. Kinsey
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 1, No. 1 (SPRING 2001), pp. 94-107
  • Response to T. A. Kinsey’s article on Dreyer’s “The Passion of Joan of Arc”
    Tony Pipolo
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 2, No. 1 (SPRING 2002), pp. 184-188
  • Risen from the Ashes: The Complex Print History of Carl Dreyer’s The Passion of Joan of Arc (1928)
    Stephen Larson
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 17, No. 1 (Spring 2017), pp. 52-84
  • The Many Versions of The Passion of Joan of Arc
    The Criterion Collection Blu-ray, 2018
  • Mort et réssurection de Jeanne d’Arc
    Vincent Pinel
    L’Avant Scène Cinéma, No. 367/368, (January-February 1988), pp.165-167
  • La Passion de Jeanne d’Arc de Carl TH. Dreyer : Découpage plan à plan
    Jacques Kermabon
    L’Avant Scène Cinéma, No. 367/368, (January-February 1988), pp.42-149

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