カルメン・カルテリエリ Carmen Cartellieri (1891 – 1953) オーストリア

サイン館 ドイツ/オーストリアより

Carmen Cartellieri 1924 Autographed Postcard

カルメン・カルテリエリは生気ある、機敏な表情の表現を得意としている。本誌では頻繁に彼女の写真を掲載しているが、どの写真でもその顔は異なったニュアンスを醸し出している。表情の機敏さと多彩さ、これこそが彼女の成功の秘訣である。英気と愁いを帯びたカルメン・カルテリエリにとって、感情のあらゆる諧調がお手の物である。

「カルメン・カルテリエリ」
フィルムヴェルト誌 1921年第16号

Carmen Cartellieri hat ein lebhaftes, bewegliches Mienenspiel. Wir haben schon so häufig Bilder von ihr gebraucht und auf jedem Bild trägt ihr Gesicht eine andere Nuance. Dies ist auch das Geheimnis ihres Erfolges: Die Beweglichkeit und Vielseitigkeit ihrer Mimik. Keine Skala des Epfindens ist ihr fremd, der rassigen, dunklen Carmen Cartellieri.

Carmen Cartellieri
Die Filmwelt, 1921 Nr. 16


1910年代後半にハンガリーのアストラ映画社でデビュー、当初はカルメン・テッシェン名義で活動。オーストリア=ハンガリー帝国の解体にあわせて拠点をウィーンに移し、オーストリアでカルメン・カルテリエリ名義で再デビュー。1920年に自身の名を冠した映画社を立ち上げ、アストラ社以来の付きあいであるコルネリウス・ヒントナー監督作品で知名度を上げていきました。

『絞殺者の手』(Die Würghand、1920年、コルネリウス・ヒントナー)
『芸術と手術』(Orlacs Hände、1924年、ロベルト・ヴィーネ)

黒眼黒髪、ドラマチックな表現を得意とする芸風が人気を博し、1922~23年のオーストリアでは一番人気の花形女優に。ウィーン拠点のパン映画社の大作に抜擢され、1924年のロベルト・ヴィーネ作品『芸術と手術』でコンラート・ファイトと共演、1926年にも同監督の『薔薇の騎士』にも出演、その後トーキー化の波に押されるように表舞台から姿を消していきました。

[IMDb]
Carmen Cartellieri

[Movie Walker]
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