サイン館 ドイツ/オーストリアより
第一次大戦中、地方の農家の娘ハンカは家計を助けるため都会に出稼ぎに向かい、デュルスカ家の使用人として働き始めます。同家の放蕩息子ズビスコはその美しさに心を奪われ、娘の純朴さに付けこんで誘惑を始める。やがて妊娠が発覚、ズビスコの母はその事実を知って激怒しハンカを雇い止めして家から追い出そうと試みる…
1930年3月公開、ポーランド初の国産トーキー映画『ドゥルスカ夫人の道徳(Moralność pani Dulskiej)』は19世紀末〜20世紀初頭に活躍した作家・戯曲家ガブリエラ・ザポルスカの同名舞台劇を映像化したものでした。当時、ポーランドではまだ完全なトーキーシステムが確立されておらず、音声はレコードに録音された吹き替え版を別に流す形を取っていたそうです。
同作でヒロインのハンカ役を務めたのがウィーン在住の歌手デラ・リピンスカ。この作品はオーストリアとポーランド在住のユダヤ人プロデューサー主導で製作されたもので監督や俳優陣にもその人脈が反映されていました。一方でポーランド人舞台俳優ジュリアス・ルビッチ=リソフスキーがヒロインを助ける青年アンテック役で映画デビュー、この後半世紀以上に渡ってポーランド演劇、映画、TV界を支えていきます。同氏は晩年に自身のキャリアを振り返った回想録を残しており、デラ・リピンスカとの撮影エピソードに触れていました。
そう、映画は屋外撮影された広大な田舎の風景、畑仕事に携わるハンカとアンテックが井戸から水を汲んでくる場面で幕開けします。とても楽しかったです。
ジュリアス・ルビッチ=リソフスキー
『フィルム』誌 1981年1月4日付第1号
Tak — film rozpoczynał się dużą sekwencją wiejskiego pleneru, Hanka i Antek noszą wodę ze studni, pracują w polu… Była to świetna zabawa.
Takie były początki
Juliusz Lubicz-Lisowski
(Film, 1981 No.1, January the 4th Issue)
元々デラさんはポーランド語が出来なかったそうで、撮影期間中に地元の楽曲を幾つか覚え自身のレパートリーに加えたそうです。
映画出演は『ドゥルスカ夫人の道徳』一作のみ。以後、その知名度を生かして歌手としての活動を展開するも欧州でポーランド侵攻が始まりユダヤ人に対する風当たりが強くなった1939年以降の活動記録が途切れています。
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手元にあるサイン物は1935年7月3日の日付入り。現スロバキアの都市コシツェの大通りにあった書店のスタンプが右下に押されています。
[IMDb]
Dela Lipinska
[Movie Walker]
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