2005 – 「裁かるるジャンヌ」 (小松弘、紀伊國屋書店クリティカル・エディション収録)を読む

ファルコネッティ [Renée Jeanne Falconetti] より

The Passion of Joan of Arc
(Komatsu Hiroshi)
24-page article published as a bonus in the 2005 Kinokuniya Critical Edition DVD

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今回、新たに発見されたアンドレ・ベルナール氏旧蔵35ミリ断片について調べている流れでいくつかの関連資料を取り寄せていて、その内の一つ、2005年の紀伊國屋書店版DVDが届きました。数年後にミレニアム・エディションでアップグレードされる可能性があるものの、現時点で日本語環境で観ることのできるソフトとしては最良の内容だと思います。

同エディションには特典が幾つか含まれており、そのひとつにデンマーク語からの字幕翻訳を担当された小松弘氏による寄稿文「裁かるるジャンヌ」が収められていました。大きく1)作品の成立経緯、2)諸プリントの問題、3)ドライヤー監督のフィルモグラフィーの三部構成をとっており、このDVDで初めて作品に接する視聴者への配慮を見せつつ、紀伊國屋版の元となったオスロ版の位置付けを出来るかぎり詳細に伝えようとしています。

『裁かるるジャンヌ』について極私的な思いをこめた文書を書ける人はどの時代、どの世代にもいるはずですが、2005年に国内でこれだけの情報をまとめ上げることのできる人は他にいなかったと思われます。その意味での希少性、資料価値は高く、また無声映画史にまつわる単体の読み物としても非常に優れたものです。

とはいうものの20年近い歳月が経過した中で『裁かるるジャンヌ』を巡る知見は大きく刷新されてきました。特に2)の諸プリントをめぐる生成過程は近年海外での解明作業が進んだ領域でもあり、小松氏の記述と食い違っている点が目立ちます。最新の情報あるいは国外研究者が必ずしも正しい訳ではない可能性を考慮し、一旦両者の異同をまとめた上で私見を述べていきます。

1:

本稿では諸々のプリントをアルファベット順にA、B、Cと表記していき、何らかの形で改変が施されたものはダッシュマークを付していきます。さらにそこから有意な変更が追加された場合にはギリシャ文字(α、β、Γ)を付すことで区別を計っていきます。

2005年小松論考では、複数のネガに由来する『裁かるるジャンヌ』の様々プリントを4種類に分けて説明してます。

・第一版デンマーク語字幕版(A版。通称「オスロ版」)
・第一版フランス語字幕アンカット版(A’-α版)- 第1版フランス語字幕カット版(A’-β版)
・第二版(B版)とそこから派生してきたプリント(B’版、B”版…)
・ロ・デュカ版(C版)
・クロウ版(D版)

1番目の「オスロ版」は日本での紀伊國屋書店版、米クライテリオン版、英ユリイカ・エンターテイメント社版など現行の主要デジタルソフトの元になっているプリントです。 『裁かるるジャンヌ』が初めて上映された際に使用されたプリント(A版)で、デンマーク当局による検閲を削除なしで通過。元々コペンハーゲンに2本のポジが送られ、デンマーク国内の映画館で上映に使用された後に行方が分からなくなっていた内の1本が1980年代にノルウェーのオスロで発見されたものです。

デンマークに次いで『裁かるるジャンヌ』の公開されたのがフランスでした。この際に使用されたのは映像的には第一版デンマーク語字幕版と同一、字幕のみフランス語となっているプリント(A’版)でした。しかしながらフランス国内のカトリック勢力からの圧力があり、アンカット版(A’-α版)は試写でしか公開されず、一般上映されたのは検閲後のカット版(A’-β版)となっていました。

ドライヤー監督が1927年末から1928年初頭に編集をおこなったA版由来のプリントに対し、1929年初頭に同監督が新たに作成したネガとそれを元にした諸プリントが第2版(B版)と呼ばれています。小松論考では「外国に販売するためのポジ・フィルムを作るマスター・ネガが作成された。これが「裁かるるジャンヌ」の第2版ネガ・フィルムである」と定義され、「この2版ネガ・フィルムから作成されたポジ・フィルムがアメリカ、日本、ドイツなど多くの国で封切られたプリントである」とされています。また、1939年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が入手し、第二次大戦後に米国内で多くの16ミリフィルムに複製されていったプリントについても「やはり第2ネガから作られたポジ・プリントである」とされていました。

2005年小松論考ではこの2種類の他に、ドライヤー監督以外の人物の手を経て作成されたネガを2つを区別しています。まずは1950年代初頭の仏ロ・デュカ版(C版)です。同論考では「数年をかけ彼 [=ロ・デュカ] はソシエテ・ジェネラル・ドゥ・フィルム社がかつて所有していたと思われるこの映画の未編集ネガ(焼失したオリジナル版および第2版のネガはここには含まれていない)を発見し、それを自ら編集し、字幕と音楽をつけて1952年に一般の映画館で封切った」と記述されており、「確かに大変美しい画質をもっているが、その他のすべての点においてきわめて問題のある版であった」と否定的な見解が示されています。

もうひとつがデンマーク映像博物館のアーネ・クロウ氏が1960年代に複数のプリントをまとめる形で編集したクロウ版(D版)です。同プリントについては「ロ・デュカ版や第2版ネガからつくられたポジのデュープ版よりも、権威ある版」と肯定的な評価が下されています。

複数のプリントとその生成過程をめぐる記述は、国境をまたぐ空間的な移動と、時間軸上の流れが絡みあっているため文章のみの説明では分かりにくくなります。そのため本稿では各プリントの動きを図示していきます。

図1:2005年小松論文の記述を時間軸(縦軸)と空間軸(横軸)からなるグリッドに落としこんだもの。升目内に書かれた文章はこの後の作業の目安ですので読む必要はありません。

時間軸と空間軸、二つの軸が絡んでいるため、前者を行、後者を列とみなしたグリット型の表を設定し、そこに2005年小松論考で記述された要素を配置していきます。列に関してはデンマーク→フランス→アメリカ合衆国→日本と出来るかぎり公開の早い順に並べてあり、一般公開されなかったノルウェーが一番右に置かれています。

このグリット上に、各プリントの動きを矢印で書きこんでいきます。小松論考では大きく4種類(A/A’版、B版、C版、D版)のプリントが扱われていますので、それぞれを異なった色(赤、黄緑、青、紫)で表しています。

一旦はデンマークで失われたはずのポジフィルムがノルウェーの一施設に辿りつき、半世紀埋もれた後に発見されデンマークへと里帰りし、現在の様々なデジタル版のベースになっていく…この形で可視化していくとオスロ版(A版)の辿った数奇な軌跡が見えやすいのではないかと思われます。

一方、字幕違いのパリ・オリジナル版(A’-α版)については検閲による削除版(A’-β版)が公開されたという記述にとどまり、以後の動きは追われていません。

第2ネガ(B版)は輸出用ネガの扱いをされており、そこから作成されたポジ・フィルムが1920年代末以降に国境を越えて移動していく大きな動きを見せています。

C版とD版は私的なローカルなプリントで、プリントが国境をまたぐような動きはみせていません。

2:

2017年、学術雑誌『ムーヴィング・イメージ』誌春号にステファン・ラーセン氏の論考「灰から蘇るものなり:カール・ドライヤー監督作『裁かるるジャンヌ』(1928年)の錯綜したプリント史」が掲載されました。ラーセン論考は1980年代末から続いてきた英語圏の生成研究を総括する内容で、2017年時点で確認できている多くのプリントについて網羅的に言及しています。

2005年の小松論考と比較した時、同論考は:
・小松論考には含まれていなかったイギリスや東欧・バルト諸国でのプリント状況について詳述されている
・日本についての言及はない、の特徴を備えています。

また小松論考は大きく4種類の版を区別していましたが、ラーセン論考では言及されているプリント数自体は増えているにもかかわらず2種類の大別(A系統とB系統)で済ませています。

小松論考との比較のため、まずはラーセン論考で記述された要素を先ほどと同じグリッドに落としこみ、同一起源をもつプリントの動きを矢印で図示していきます。

図1:2017年ラーセン論文の記述を時間軸(縦軸)と空間軸(横軸)からなるグリッドに落としこんだもの。

準備作業はこれで完了しました。ここからはプリントの動きの異同を見ていきます。

まずオスロ版(A版)についての記述ですが、プリントの発見が最近であったことから情報に紛れが少なく、小松論考・ラーセン論考ともにほぼ同一の動きを記述。後発のラーセン論考は2010年代のデジタル化の流れまで抑えている一方、幾つかの事実関係については小松論考の方が詳述しているケースも見られました。これはどちらの論考を読んでも理解に概ね違いはないことを意味しています。互いに補完しあう情報を含んでいるので両方読めばより確実にオスロ版の動きについて理解できます。

しかしながら両論考が解釈を共有できているのはオスロ版のみで、その他の版については相違点が目立ちます。

仏初公開時に使用されたパリ版について、小松論考ではアンカット版(A’-α版)とカット版(A’-β版)を分けるのみで済まされており、それ以後の動きについては言及されていませんでした。早い段階でプリントが失われたという解釈をされているのです。

一方でラーセン論考はA’系統のプリントが1930年代以降にも複雑な動きを見せていた点を指摘、特に重点を置いて記述していたのがラングロワ版です。

「ラングロワ版」の名称はシネマテーク・フランセーズの初代館長アンリ・ラングロワ氏の名に由来しています。第二次大戦中、進駐してきた独軍による簒奪から文化財を守るため自宅浴室に複数本のフィルムを隠した逸話の持ち主で、それらのフィルムがシネマテーク・フランセーズのコレクションの基礎となっています。この内の1本が『裁かるるジャンヌ』でした。

同プリントは解像度とコンディションに難がある(オスロ版に比べて描写が淡い)ものの、使用されているショットに関してはオリジナル版と同一で、なおかつ仏初公開時に行われた検閲の痕跡がない内容でした。そのため現在、「ラングロワ版」はA’-α版のコピーと考えられています。

同版は戦後の1940年代後半にシネマテーク・フランセーズの上映で使用され、また国外に送られるポジの原型の役割も果たしました。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が1939年にシネマテーク・フランセーズから受け取ったプリントも「ラングロワ版」から派生してきたポジフィルム(いわゆる米MoMA版)とされています。

さらにラーセン論考では仏カット版(A’-β版)から派生してきたプリントに言及がされています。英国の国立映画アーカイヴが1947年に入手した不完全版のプリント(英NFA版)が、削除場面の検証から仏カット版(A’-β版)起源であると特定され、さらに英NFA版とよく似た特徴を備えたプリントがラトビアなどの各国の映画アーカイヴに保存されていることが分かっています。

英国オリジナル版の動き(ラーセン論考より)

またラーセン論考は小松論考で言及されていなかった英国公開時のプリント事情について記述がみられます。1928年の初公開が予定されていたのですが、内容が反英的である(=英国軍を悪しざまに描いている)点が問題視されオリジナル版は上映禁止となり、問題部分を削除した英カット版(A”版)が作成されました。この上映禁止措置は1930年11月まで続いていきます。現在、BFIがこの英カット版を所蔵しています。

合衆国オリジナル版の動き(ラーセン論考より)

合衆国でのプリント配給状況についてラーセン論考は以下の通りです。同国では1929年3月に英語とフランス語の字幕を付した米無声版が封切りされました。このプリントは1930年代にトーキー仕様に編集され字幕を排した60分前後の長さに短縮されています(米クレルバーグ版)。プリントが遺失しているためラーソン論考では断定は控えられているものの、英国に届けられた英語版(英BFI版)がA’版起源であったことから、米無声版、米クレルバーグ版ともにA’版から派生してきたポジフィルムであった(それぞれA”’-α版とA”’-β版)との推測がされています。

ラーセン論考に従うなら、米国で視聴可能だった『裁かるるジャンヌ』は1920年代から1980年代まで一貫してA’版だったことになるのです。これは小松論考の記述と正反対になっています。

それ以上に深刻な相違を見せているのが第2ネガ(B版)の扱いです。小松論考で第2ネガ(B版)は輸出用ネガの扱いをされており、「第2版ネガから作成されたポジ・フィルムがアメリカ、日本、ドイツなど多くの国で封切られた」と記述されていました。目を通した欧米圏の文献でこの解釈を取っている研究者は一人もいませんでした。現在のドライヤー研究では上映用に輸出される以前に撮影所火災で焼失したと見なされているのです。

またラーセン論考では1951年に仏ジョセフ・マリ・ロ・デュカの発見したプリントが第2ネガであったとされています。アウトテイク類を個人的に編集したプリントであるとする小松氏の主張と大きく食い違っている部分です。

一方で1940年代にイタリアに存在していた35ミリポジがB版由来だった可能性はどちらの論考でも言及されていました。紀伊国屋書店版のボ―ナスとして収められている画像(1945年に公刊されたイタリア語書籍からスキャンされた画像)がその根拠となっています。ラーセン論考はこの書籍のベースとなったプリント(伊パジネッティ版)の現存が現在未確認であることから「ロデュカ版と共通点が多くB版由来ではないかと思われる」と断定を避ける言い回しを用いていました。

最後にデンマークのクロウ版について比較を行っていきます。この版がどういった性質のものであるかについては小松論考、ラーセン論考共に共通した見解が述べられています。ただしプリントの評価には違いが見られます。以前に『吸血鬼』の投稿で触れたように、現在、異なる起源のプリントを継ぎはぎしていく手法に対する風当たりは強くなっています。ラーセン論考はこの価値観の変化を反映し、クロウ版の歴史的意義を尊重しつつもプリントそのものに高い評価を与えてはいません。

3

ここまで2005年小松論考と2017年ラーセン論考の比較を進めてきました。両者を突きあわせた結論としては:
1)オスロ版に関しては両論とも甲乙つけがたい正確な記述が行われている
2)それ以外の版については異なる点が多く、主張が真っ向から食い違っている記述も含まれている となります。

オスロ版以外のプリントについては、どちらかに理解あるは解釈の誤りがある…ということになります。さて、どちらの論考が事実関係を正確に反映しているのか、です。判断は難しい所です。後発のラーセン論考の方が新しい情報を多く含んでいるのですが、だから同論文が正しいという結論にはならないからです。

本稿では、筆者が所有している2つのプリントを分析し、その結果がどちらの論考に合致しているのか検証してみました。

手元にあるのは以下の資料です。
1)2013年3月に入手した英語字幕付きの16ミリ無声版
2)2024年5月に入手した35ミリポジの断片12枚

1)は赤い樹脂製ケースに収められた2巻物で、ケースに黒いマジックで「I.D.C. Media Library」の文字が残されています。1970~80年代にかけ、米バーモント大学のポメロイ・ホールに設置されていた「IDCメディア・ライブラリー」旧蔵のプリントです。

本稿では分析の詳述は避けますが、バーモント大学旧蔵版は解像度的にオスロ版に劣るものの、映像部分は同版と同一のA版系統のプリントであると判明しました。この英語版はMoMA版から派生したプリントで、小松論考ではB版由来、ラーセン論考ではA’版由来(=解像度の低いラングロワ版由来)とされていました。筆者による分析結果はラーセン論考の記述と合致しそれを補完するものです。

2)はフランスのコレクター、アンドレ・ベルナール氏が封筒に保管していた35ミリフィルムの断片です。

プリントの素性は現時点で完全に特定できていないものの、スキャン結果からA版由来ではなく、またロ・デュカ氏の発見したプリントから派生してきた可能性が高い点まで判明していました。今回さらに分析を進めたところ、断片のひとつに伊パジネッティ版とほぼ同一のアングル、フレーミングで撮影されたコマが発見されました(この検証に関しては後日別投稿で詳述する予定です)。

ロ・デュカ版は、小松論考ではA版でもB版でもないアウトテイク由来とされており、ラーセン論考ではB版とされ伊パジネッティ版に近いという記述が残されていました。筆者による分析結果はラーセン論考に合致しています。

筆者が手に入れたプリント二つがいずれもラーセン論考を支持し、小松論考と相反している。まだこれだけで断定はできないものの、 ラーセン論考の方がより事実に即した記述を行っているのだろうと確信させるには十分な結果でした。

4

小松弘氏による論考は2005年に発表されています。『裁かるるジャンヌ』の諸プリント研究がようやく形を取り始めた時期、未知の要素、不確定な要素が多くあってその中で全体像を見通していく文章を書くのは難易度の高い作業です。デジタルソフトの解説として、一般視聴者に届く形でこれだけの文章をまとめあげた力量、功績は現時点から見ても十分評価されて良いと思われます。

一方で気になったのは小松論考にデンマーク寄りのバイアスがかかっていることです。リーフレット巻末には「日本公開データ」と題された項目が置かれ、「もともと2本の上映プリントしか作られなかった第一版・デンマーク語字幕版は日本で上映されたことは一度もない」の一文を読むことが出来ます。クロウ版の評価の仕方を含め、デンマークに接点のあるプリントを出来るだけ高く評価し、なおかつA版日本初披露となった紀伊國屋書店版の希少性、重要性を強調したい意図が透けています(小松氏はデンマークに縁の深い映画史家ですので理解できる傾向だとは言えます)。

逆に小松論考と比べてみた時、ラーセン論考に英語圏寄りのバイアスがかかっているのが見えてきます。本稿の趣旨からは逸脱するため触れてはいませんが、ステファン・ラーセン氏のみならずデイヴィッド・ボードウェル氏等の英語圏の研究者は英NFA版を重要視しています。仏カット版(A’-β版)由来であるにも関わらず、オスロ版に含まれていない場面が複数含まれていることで知られており、それらの場面をどう評価するかで活発な議論になっているのです。英語圏の研究者であるがゆえにNFA版になじみが深く、議論の対象になりやすいという点でこれもバイアスの一種と見ることができると思われます。

このバイアス(傾斜)は決して悪い事ではなく、『裁かるるジャンヌ』のように幾つもののプリントが多数の国をまたいで複雑な動きを見せているケースでは、様々なバックグラウンドを有した研究者たちがそれぞれの知見を持ち寄ってくることでしか解決には辿りつかないだろうという予感がしています。イタリアのパジネッティ版、ラトビア・リガ版(英NFA版に近いとされています)、別稿で触れたフランスのロ・デュカα版など現時点ではまだ実態の掴めていないプリントも残されており、今後はそういった周縁を詰めていく中で『裁かるるジャンヌ』の諸プリントの生きた百年史がよりはっきりした風景として立ち現れてくるだろうと期待されます。


【参考文献】

  • The Spectre of “Joan of Arc”: Textual Variations in the Key Prints of Carl Dreyer’s Film
    Tony Pipolo
    Film History, Vol. 2, No. 4 (Nov. – Dec., 1988), pp. 301-324
  • The Mysterious History and Restoration of Dreyer’s “The Passion of Joan of Arc”
    T. A. Kinsey
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 1, No. 1 (SPRING 2001), pp. 94-107
  • Response to T. A. Kinsey’s article on Dreyer’s “The Passion of Joan of Arc”
    Tony Pipolo
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 2, No. 1 (SPRING 2002), pp. 184-188
  • Risen from the Ashes: The Complex Print History of Carl Dreyer’s The Passion of Joan of Arc (1928)
    Stephen Larson
    The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists, Vol. 17, No. 1 (Spring 2017), pp. 52-84
  • The Many Versions of The Passion of Joan of Arc
    The Criterion Collection Blu-ray, 2018
  • Mort et réssurection de Jeanne d’Arc
    Vincent Pinel
    L’Avant Scène Cinéma, No. 367/368, (January-February 1988), pp.165-167
  • La Passion de Jeanne d’Arc de Carl TH. Dreyer : Découpage plan à plan
    Jacques Kermabon
    L’Avant Scène Cinéma, No. 367/368, (January-February 1988), pp.42-149

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