ノベリゼーション [日本] より
僅かに薄光の射込む地下室 – その中央に立つたキチーは、暫くは何も見分けられず茫然としてゐたが、其中に漸う薄闇に馴れて來たので四隣を見廻すと、正面の暗の中に異形の影があつた。
それが何うも人間らしく思はれたので、更に勇を鼓して前み寄れば……眞白になつた人間の骨だ!キチ―の神經の故かも知れぬが、人間の骨はキチーに向つて笑ひかけたやうに思はれた。
『名金』第25章「秘密の地下室」
先日エラ・ホールの紹介で触れたように、『マスター・キー』と並んで日本での連続活劇普及に多大な貢献をもたらしたのがフランシス・フォード監督による『名金』でした。骨董屋でみかけた小銭を好奇心で購入したのがきっかけで、主人公の文筆家キティー(グレース・キュナード)が欧州のとある王国の秘宝をめぐる争奪戦にまきこまれていく22章立ての物語。


1915年の宣材用絵葉書(左)と『活動之世界』収録のスチル写真(右)
国外を主要舞台としているため後続の活劇と雰囲気がやや異なっているものの、ヒロインが命を狙われ毎回生命の危機に曝される展開はお約束通り。『名金』ではヒロインを守る「快傑ロロー」(エディー・ポーロ)が重要な役割を果たしていて、その派手な立ち回りにも人々は熱狂していました。
- 『名金 上・下巻』(1916年、活動之世界社)
- 『名金 上・下巻』(1916年、世界館)
- 『名金 上・下巻』(1916年、名古屋榮館)
- 『名金 探偵活劇1・2』(1916年、北島俊碩、江東書院)
- 『名金 : 活動弁士の説明したる世界的探偵奇譚』(1916年、斎木義一、活動時報社)
- 『世界的大探偵:名金』(1916年、田口桜村、三芳屋書店)
- 『探偵小説:名金』(1916年、青木緑園、中村日吉堂)
- 『名金』(1916年、竹内断腸花、活動文芸社)
- 『探偵活劇:名金 前・後編』(1916年、長瀬春風、博文館)
- 『探偵活劇:名金』(1916年、 黒谷天洞、講談落語社)
『名金』人気は公開直後(1916年春)に出版された日本語小説版の多さからも伝わってきます。国立国会図書館は上記の10種類を収蔵(最初の3冊は訳文は同一で表紙・挿絵・前書きのみ異なっている)。また映画本体とは無縁の二次創作(『其後のロロー : 名金外篇』中村日吉堂)も登場する等、単体作品の翻案の多さは『ジゴマ』に次ぐものです。




今回入手したのは春江堂から出版された大活劇文庫版で大正9年の第26刷。裏表紙に「江東書院発行」の文字が見られます。以前に大活劇文庫紹介の記事で触れたように、編集者の高橋友太郎氏は当初春江堂からの出版と、自宅を拠点とした自費出版(江東書院)を同時並行で行っており、元々江東書院で出されていた『名金』の版をそのまま春江堂に持ちこんで増刷したと考えられます。
お寺 [妙淸寺] のお門の前に窪川といふ古本屋があつた。或朝僕はやつと持ち上げられるくらゐある雑誌の山を抱へて、窪川に買うて貰ふのであつた。そして何十銭かを得ると僕は素晴らしい景氣のよい電車のなかの人になり、五銭の活動をみにゆくのであつた。あのころの美しいグレス・カナードやエラホールの顏は、いつも僕の眼ににじむ涙のかげにほゝゑんでゐて、孤獨と格闘してゐた僕にどれくらゐ深いいたはりを與へてくれたか知れなかつた。
「いつを昔の記」
『文芸林泉 : 随筆集』(室生犀星、中央公論社、1934年)
先日も引用した室生犀星氏の一節。作品名こそ挙げていないものの『マスター・キー』と『名金』をリアルタイムで観た1915~1916年の回想だと分かります。国外では例えばカフカの接した無声映画について考察していく研究書(『カフカ、映画に行く』)があったりもする訳で、日本の大正期の文士たちが触れた活動写真の世界を追っていくのも楽しそうです。
[IMDb]
The Broken Coin
[Movie Walker]
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