サイン館・ロシア [Russia] より
そこへやつて來たのが、ディアギレフに率いられたロシア・バレー座の一行であつた。そして、その舞臺の上に、イダ・リュビンシュタインを發見して、モンテスキウは、茫然自失するのである。[…]
モンテスキウは、早速、ダンヌンツィオを、イダの舞臺へ招待した。パレス、ロスタン、コクトーなども共に招かれた。[…] 終演後、皆は揃つて、イダの樂屋を訪れる。クレオパトラの扮装のままで一同を招じ入れたイダを見て、コクトーは『魔法によって生命を與へられた瑠璃硝子の中の人物のやうだ!』と、讃嘆の呟きを洩らす。
そして、足の甲から膝をへて腿にいたるイダの輝くばかりの裸身に目を奪はれたダンヌンツィオの、ふと上に上げた眼差しを、この世のものとも思はれぬ素晴らしい金髪が宿す翳の中より射し出された一條の光のやうなイダの微笑が、刺し貫いて、一瞬、ダンヌンツィオの目を眩ませ、その、めくるめきの中で、ダンヌンツィオは思はず、『セバスチァン?』と、囁いたのである。
『聖セバスチァンの殉教』あとがき
池田弘太郎
(ガブリエレ・ダンヌンツィオ作、三島由紀夫&池田弘太郎訳、美術出版社、1966年)
絵画と比較するのは生来苦手ではある(ルビンシュタイン夫人がイタリア絵画の巨匠を思い起こさせるのは、単に全ての崇高な物事はどことなく「似た者同士」であるからなのであって)のだけれど、それでも夫人を見ていると、何がしかの奇跡によって瑠璃硝子に生気が吹きこまれ、ガラスに描かれていた人物像が突然動き出し、身動きもできず声もなく半透明で神聖だった記憶で一杯なまま、どこか不安げで、手に入れたばかりの声と新しい体の動きをまだ自在に使いこなせていない様を思い浮かべずにいられない。
「聖セバスティアン」のイダ・ルビンシュタイン夫人
ジャン・コクトー
(コメディア紙1911年6月1日付)
Malgré l’horreur naturelle que j’ai pour les comparaisons picturales, car, si Mme Rubinstein rappelle les mâitres italiens, c’est parce que toutes les choses proches du sublime ont un ” air de famille “, elle fait cependant penser à quelque vitrail animé par miracle et dont l’image soudain vivante, un peu mal à aise et pleine d’un souvenir immobile, muet, translucide et sacré, n’aurait pas encore l’usage libre de sa voix récente et de ses gestes noueaux.
Madame Ida Rubinstein dans “Saint Sébastien”
Jean Cocteau
(Comoedia, 1 Juin 1911)
ロシア出身の異端の女流舞踏家イダ・ルビンシュタインにとって西欧での出世作となった1911年(明治44年)『聖セバスチァンの殉教』より直筆サイン入りの絵葉書。
同作は日本では三島由紀夫と池田弘太郎氏の共訳で紹介されています。あとがきに「コクトーは『魔法によって生命を與へられた瑠璃硝子の中の人物のやうだ!』と、讃嘆の呟きを洩らす」のエピソードが紹介されていますが、これは『聖セバスチァンの殉教』の舞台評として残された一文を借りてきたものです。当時のフランスのカトリックのお偉方の逆鱗に触れ、信者に「観に行くな」のお達しが出てしまい演劇誌が大々的に取り上げることが出来なかった中、世間の空気を読まず長文の讃辞を寄稿してしまう軽やかさ、尖り具合がコクトーたる所以でもあります。
『聖セバスチァンの殉教』から十年後、イダさんはダンヌンツィオ監督作『復讐の紅薔薇(シップ)』に主演。無声映画とバレイの相性の悪さもあって最良の瞬間を捉え切れていないとは言え、そこかしこに特異な煌めきは記録されています。
[IMDb]
Ida Rubinstein
[Movie Walker]
Ida Rubinstein



