フィルム館・齣フィルム より
窓を開けた細長い厚紙二枚に挟む形でまとめられた齣フィルム14枚。作品名の付されたものが内9枚あって、ほとんどが1926年3月から5月にかけて公開された作品です。
1925年7月『乱刀』(東亜キネマ、二川文太郎)
1926年3月『大楠公』(松竹下加茂、野村芳亭)
1926年3月『素浪人』(阪妻プロダクション、志波西果)
1926年4月『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』(日活大将軍、池田富保)
1926年4月『塚原小太郎 前篇/後編』(帝キネ芦屋、江後岳翠)
1926年4月『無明地獄』(阪妻プロダクション、陸大蔵)
1926年5月『蛇眼』(阪妻プロダクション、志波西果)
阪東妻三郎を中心に、月形龍之介、尾上松之助、河部五郎、市川百々之助など齣フィルム界隈ではなじみ深い面々が並びます。『大楠公』で井上正夫氏が登場しているのが珍しい位かな、と。
齣フィルムは何度か大きな塊を入手してきていて、これまでに700枚近いサンプルが集まっています。十数枚上積みして新しい発見が出てくる訳でもなさそうですが、興味深かったのは管理の仕方でした。手持ちにして光に翳せる仕様にしていますよね。
1910年~20年代に流通していた齣フィルムをどのように保管・運用していたかについては個人差が大きく、決して一律ではありませんでした。裸のままガサっと袋にひとまとめにしているケースもあれば、専用又は自家製のアルバムに並べている人もいる。窓を開けた厚紙で台紙を作り、光に翳して見て楽しむパターンは以前にも見たことがあって、コレクターの一部で共有されている手法だったと思われます。
実際、太陽光越しに見る齣フィルムはとても綺麗。
何年か前に入手した齣フィルム入りの蛇腹型フィルムブックを写真に撮ろうとした時、どう撮影すれば良いか分からず思いつきで立ててみたところ、カラフルな光が広がって驚かされた覚えがあります。
齣フィルムの画像は解像度が低く、色ムラがあり、柔らかい樹脂製なので簡単に傷がついたり凹凸ができたりします。ところが一旦自然光にかざしてみると、イレギュラーな要素がむしろアクセントとなって手の角度、見る角度を僅かに変えただけで光り方や色あいが刻々と変化。
このキラキラした感覚は初めてではなさそうだ…記憶をたどり直したところ、思い出したのがパテオラマでした。


ロールフィルムを自然光で鑑賞するフィルムヴューワーで、ずいぶん昔に紹介した覚えがあります。実際使ってみると分かるように、画像を均質に再現する訳ではなく、光の加減に対応してムラのある変化を見せます。静止画を見ているにも関わらず予期せぬ微細な動きや移ろい、変幻があって見ていて飽きない。ある意味カレイドスコープに通じるものがあります。
「映画」、むしろシネマトグラフと呼ばれていた何かは、自然光であるとか透過光であるとか、観る者が光の加減を好みや機嫌で変えたりする自由さを切り捨てることで誕生してきています。パテオラマはその裏を突く形で光と影の戯れを再発見していく装置でした。齣フィルムを自家製台紙で鑑賞し、その輝きに胸を躍らせていた愛好家たちもまた、異なった道筋で同じ結論に辿りついていたのでしょうね。
















