1928 – 1936 9.5mm オーストリア 個人撮影動画『バイラー家の三姉妹』

フィルム館・9.5ミリ (個人撮影動画・国外) より

Vienna 1928 – 1936 : Three Sisters of the Beiler Family
9.5mm austrian home movies
(Judaica / Holocaust related)

昭和3年(1928年)5月~昭和11年(1936年)にオーストリアのウィーンで撮影された9.5ミリ個人撮影動画。同地に生まれたバイラー家三姉妹の日常生活、主に外出時の映像を記録したものです。フィルムの長さは120メートル程。12~13fps(コマ毎秒)で撮影されておりデジタル化すると14分ほどになりました。

フィルム缶の蓋裏は黄緑色の薄い紙で裏打ちされ、タイプ打ちされた撮影時間・場所データの詳細が貼られていました。1928~29年に撮影された市街地の映像が多く、後半は日付の付されていない郊外への遠足・ピクニック動画を中心に収録。通して見ていると当時のウィーンをあちこち散策している気分になってきます。

由緒ある古都でもあって街並みの骨格は百年前も今も大きくは変わっていません。そのため幾つかの撮影場所をピンポイントで特定できました。グーグルのストリートビューと照らしあわせていきましょう。

冒頭すぐに三女のヘルタさんが路面電車の通り過ぎるのを待って車道を横切っていきます。ブルクリング通りとベラニア通りが交わったT字路。当時は石畳で、今は無い街灯が置かれていた様子を確認できます。国会議事堂に近い一画で、映像背景に見えている建物は議事堂に併設されていたエプシュタイン宮殿です。

また、動画には市中を流れるウィーン川が何度か登場してきます。リンケ・ヴィーンツァイレ通りに立って東を向き、ネヴィレ橋を捉えた構図になるのかな、と。画像の奥側に見えているイスラム風(?)の尖塔が一つの目印になりました。橋の欄干は現在ツタに覆われていますが、1928年当時はまだむき出しの状態。直線と植物の意匠を組みあわせたユーゲントシュティール様式の欄干デザインは今も健在です。

グンペンドルファー通り駅の南端に立ち、マリア・フォム・シーゲ教会を背景に路面電車の到着を捉えた一コマ。

1928年5月初め、長女のアディさんが訪れたマルガレーテンギュルテル96番地の建物。1920年に完成したメッツラインスターラー ホフ(Metzleinstaler Hof)と呼ばれるウィーン最初期の公営集合住宅で木製扉から窓の格子までそのままの姿で残っています。当時この建物には画家ロビン・クリスティアン・アンデルセンがアトリエを構えていて絵画のレッスンを行っていたそうです。後述するようにアディさんは建築などを学んだアート系のキャリアの持ち主で、絵を習いにやってきた折の一コマです。

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歴史的建造物、交通インフラから当時のファッションまで古都の往時の姿が収められており歴史資料として価値の高いフィルムではあります。同じくらい魅力的なのが被写体となっている三姉妹の仲睦まじい様子です。

改めて紹介していくと左から順に長女のアデーレ・バイラーさん(愛称アディ)、次女のエマさん(愛称エミー)、三女のヘルタさん。それぞれ1905年、1907年、1910年生まれです。明記されていませんが、プライベートゾーンに入って撮影された動画の多い事から撮影者は父親(モーリッツ・バイラー氏)と断定して間違いないと思われます。

1928年5月6日、動画カメラで撮影した初めての映像はアディさんの正面姿でした。その後も子供たちが外出するとカメラが追っていきます。ウィーン市中を記録した珍しい映像が残される結果にはなったものの、冷静に考えると父親がカメラを手に街中いたるところを追ってきているシチュエ―ション、年頃の娘さんとしては「チョイうざい」位の本音はあったかもしれませんが、満更でもない様子でもあってニコニコと父親の道楽に付きあっています。

家族仲の良かった様子は、ピクニックで撮影された姉妹同士の映像にも表れています。

上の2枚は1928年10月28日、ノイヴァルデックでのピクニックで撮影されたもの。左の映像では、真ん中に立っている次女エミーさんが右隣のアディさんに何か話しかけ、それを聞いた左端のヘルタさんが腹を抱えて爆笑しています。右の写真ではヘルタさんがお姉さん二人に髪の毛をくしゃくしゃにされていました。

左下は1930年3月にシェーンブルンで撮影されたもので、ヘルタさんが新しいルージュを試した後、姉のアディさんもそれを借りて口紅を引き直し、二人で顔を見あわせて一緒に大笑いする流れになっています。右下のやや淡い動画(撮影時期不詳)では、長女のアディさんが物憂げな表情で一人ぼんやりしていると妹のエミーさんが隣に座りこみ、「ほらほら、カメラで撮られてるよ」とでも言うかのように姉の顎を指で支えて視線の向きを変えさせている場面です。

個々の仕草・やりとりは他愛ないもので、ちょっと時間が経てば本人たちも忘れてしまっている程度かなと思います。それでも近しい者同士でしか発生しないような日常生活の瞬間をカメラは良く捉えていました。

またフィルムにはバイラー家の親族や知人・友人も多く登場しています。

このうち1930年6月15日撮影の動画に登場してくる「ルディ」はルドルフ・トロストラーさんの愛称で、1936年に長女のアディさんの夫となる人物です。さらにフィルム後半に一度登場してくる「オットー」さんはオットー・ギビアンが本名で、1930年4月に三女ヘルタさんと結婚。また1928年10月14日の動画に出てくる「フランツ・カフカ」(作家のカフカとは同姓同名の別人)は、三姉妹にとって母方の従兄に当たる人物です。

などなど、『バイラー家の三姉妹』は美しい古都の風景を背景に、比較的裕福な一家に生まれ育った三姉妹が日常生活を謳歌している様子を記録した素敵な映像にまとまっています…

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…の一文で投稿を終わらせることができたらどれほど良かったか。残念ながら家族のささやかな幸せの物語にはそれとは余りに裏腹なつらい結末とエピローグが付されていました。

まずは1936年2月、動画を撮影したと見られる父親のモーリッツ・バイラー氏が亡くなっています。30代後半で結婚して三人娘を授かったようで、子供たちの成長を見守るのが楽しくて仕方がない様子はフィルムの端々から伝わってきます。動画が36年撮影で終わっているのはこういった家庭状況を反映したものです。

さらに父親の訃報から一年半後の1937年夏には長女のアディさんが逝去。生れ故郷のウィーンではなくかつてオーストリア=ハンガリー帝国に所属していたアドリア海沿岸の町ドゥブロヴニクで亡くなったそうです。亡くなった詳しい状況などは不明、31歳の若さでした。

アデーレさんの名は、戦前期までのオーストリアで活躍した女性をデータベース化していくプロジェクト「ビオグラフィア(biografiA)」にも登録されています。同書では画家/イラストレーターとして登録されており、1921年~23年にかけて芸術全般、24~25年には建築を学んだ略歴が付されていました。学生時代の1924年に自らの手による韻文に切り絵を添えた絵本『Hei von Allerlei』を公刊。同時期に版画作品(リノカット)を製作・発表しています。1928年の動画で絵を習いに行っていたのもこの絵本作家・版画作家の活動とつながっています。

『Hei von Allerlei(万物のおぉ!)』 アデル・バイラー文・画、1924年

1920年代中盤の版画作品(MutualArt より)

次女エミーさんの人生も決して平坦なものではありませんでした。1930年代末頃になるとオーストリアでも反ユダヤの動きが強まってきます。エミーさんは旧大陸を離れオーストラリアに脱出。この時、亡くなった姉アディさんの夫だったルドルフ・トロストラー氏も合流しており二人は戦中期の1942年に結婚しています。戦後もウィーンに生活拠点を戻すことはなく、1993年にオーストラリアで亡くなったそうです。

迫害を逃れたエミーさんと対照的に、末っ子のヘルタさん(結婚してヘルタ・ギビアンの名になっています)は逃げ遅れました。逮捕された後、1942年6月にウィーンからテレージエンシュタットの強制収容所に移送、その翌々月、マリ・トロステネッツ絶滅収容所に送られ8月25日に殺害されています。

最後の9.5ミリ動画が撮影されてからわずか7年ほど、死に別れ、生き別れた三姉妹が再び顔をあわせる機会は二度と訪れませんでした。無邪気に日々を謳歌していた動画の様子を思いあわせるならほぼ最悪に近いバッドエンドではないかと思われます。

今回筆者が入手した9.5ミリの映像はこの家族の物語に並走し、そのエピローグに属しています。元々10/20メートルの長さで撮影された複数の短い動画を、撮影者モーリッツ氏の亡くなった1936年より後に誰かが1本に編集。おそらく次女エミーさんがオーストリアを離れた際に持ち出した家財の一部に含まれていたのかな、と。実際に見返す機会があったたどうかは分かりません。それでも若い頃に家族と幸せな時間を共有していた証として大事に保管されてきたのではないでしょうか。

1930年代~40年代前半の「野蛮」(アドルノ)に関して日本は加害者側にいる訳で、正直偉そうなことを言える立場にはないのですが、フィルム収集家としてこういった形で記録をさかのぼり、人の名、場所の名、物の名、時の名を与え直し、文脈を再構成し、失われた家族の記憶を蘇らせる作業に関われたのは光栄でした。

【参考文献&参照サイト】

Hei von Allerlei, Adele Beiler (Leipzig : Ferdinand Hirt & Sohn, Wiener-Jugendkunst-bilderbücher 4, 1924)
biografiA. Lexikon österreichischer Frauen, Band 4 – Band 04, Registern, Ilse Korotin (Hg.) (Wien : Böhlau Verlag, 2016)
Herta Gibian @ Holocaust Survivors and Victims Database (https://www.ushmm.org/online/hsv/person_view.php?PersonId=5178909)

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