1926 – 9.5mm 『快傑夜叉王』(マキノ省三) 1920年代後半 伴野商店プリント 

フィルム館・9.5ミリ (伴野商店) & 映画史の館・日本 より

Ichikawa Utaemon in Kaiketsu Yasha-Ô
(1926, Makino Shôzô)
Late 1920s Japanese Banno Co. 9.5mm Print

市中の薄暗い一画、轟の権太を中心とするチンピラの一党が何やら算段をしている模様。
「あの夜叉王とかいふ若僧の所へ一ツ金でも拝借に出かけ様ぢやねいか」

頬かむりをした一党がいざ夜叉王の部屋を訪れる。人もいないのにふすまがスルスルと開いていく。おやおやと目をこすつていると、奥には金屏風前に稚児が正座していて座礼をひとつ、すると物騒な来客たちの目の前で稚児は巨人に姿を変える。その大きな手のひらに頭を掴まれた権太はなすすべもなく足をじたばたさせるのであつた。

夜叉王の一室はまるでからくり小屋で、権太一党は妖術にたぶらかされ面食らうばかりであつた。易者に身を変えた夜叉王(市川右太衛門)に「これは大変、お身には死相があるぞ」とおちょくられた権太が刀を手に襲い掛かるも軽くあしらわれあえなく退散の憂き目を見るのであつた。

夜叉王は親の仇を討つべく、妖術を使って浦上能登守氏郷(志賀清司)の城下に侵入。使者と偽り能登守への接近に成功するも不審な動きを怪しまれ追われる立場となった。

追手の前に立ちはだかったのは二人の子供に分身した夜叉王であつた。捕吏たちが警戒しながらにじり寄っていくと、不意に視界が左右に裂け、雪景色を背景に立つ本物の夜叉王が姿を現した。気がつくと追手たちの周囲もいつの間にか雪に覆われているではないか。動揺する追手たちをあざ笑う哄笑ひとつを残して再び視界が閉じていき、辺り一帯は業火に包まれるのであつた。

辛くも逃れた夜叉王であつたが、父・木曾若狭の仇討を諦めたわけではなかった。数ヶ月後、再度城下に侵入し能登守の寝首を掻こうと試みる。果たして夜叉王は本懐を遂げるのか、夢うつつを行き来する妖術絵巻の行く末や如何に。


昭和2年(1926年)初頭に前後編として公開された市川右太衛門の初期出演作。デビュー作『黒髪地獄』(1925年12月末)の現存は確認されていないため、現時点で見ることのできる最も古い右太衛門作品になります。

9.5ミリ版は物語の大筋には触らず、作中のトリック撮影を中心に編集。多重撮影を駆使した表現が多く、上のスクリーンショットでまとめた個所以外にも夜叉王配下の素走り太郎(中根龍太郎)が分身の術を披露し、敵に身代わりを討たせる場面など面白い発想が幾つも含まれていました。

二巻構成のうち、第一巻は轟の権太を相手にした妖術場面、第二巻は浦上能登守への仇討が中心となっており、物語の背景が提示されていないために全体の流れが掴みにくくなっています。そもそも本作は当時の検閲によって大きな規制が入っており、義賊・石川五右衛門の設定が認められなかった(他人の財産を盗んで分け与える発想が資本主義の原則に反す≒共産主義の発想を含んでいる)だけではなく、主人公の動機付けの部分にメスが入っています。本来は豊臣秀吉を暗殺する設定だったらしいのですが、時代劇とはいえ国の要人を暗殺する物語は問題ありと判断され現行の「父の仇討ち」に改編されています。

浦上能登守役の志賀清司

確かに言われてみると秀吉っぽい(…時代考証は?)俳優さんとメーキャップですよね。

この時期の検閲の細かな状況は『活動寫眞フィルム檢閲時報』に詳しく記録されており、該当年度を当たっていけば物語世界の原型をある程度復元できる可能性はあるのかな、と。現在残されている姿が牙を抜かれ、無害化されているだけであって実際は時代を先走り過ぎた一作だったのかもしれません。

[IMDb]


[JMDb]
快傑夜叉王 前篇
快傑夜叉王 後篇

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