映写機館より
エクセル9.5ミリ撮影機を発売していた日本映画機株式会社の前身、ポニイ映畫機株式會社が手掛けた9.5ミリ映写機。会社名、映写機名ともに「ポニイ」が正式な綴りですが、1930年代時点ですでに「ポニー」の表記揺れがあります。
ポニイ映畫機株式會社は1935年(昭和10年)6月に設立 [1] 、映写機、撮影機およびその付属品や周辺機器の販売を開始。この名称での活動期間は短く、翌年の秋(10月)には社名を日本映画機株式会社に変更、所在地を麹町区(現在の千代田区の一部)から日本橋の本町に移しています [2] 。手回し式(ポニイ撮影機)からゼンマイ式(エクセル撮影機)への移行に伴い、動画カメラは名称を変更しているのですが映写機はポニイブランドを継続して使用していきます。
ポニイ映写機は前期型と後期型の二種類があって、今回筆者が入手したのはシリアル番号が「1635」の後期型でした。
前期型(2024年11月にヤフオクで売買記録があります [4] )は土台部が扁平な台形の箱型。シリアルナンバーを付したプレートを側面部に配置していました。









後期型のアップデート点は大きく下の三か所。
1)土台部が末広がりの形に変更され、シリアル番号入りのプレートは背面に回ります
2)レンズの手前側、フィルム送りのメカニズムと光源からの光を90度反射させる鏡を楕円のカバーで覆っている
3)ランプハウスの側面部に円い小穴を幾つか開けて排熱能力を強化
全体としてすっきりしたデザインに生まれ変わっています。
スペックを見ていくと当時の中級~高級映写機の多くが3群(または2群)4枚のペッツバール式レンズだったのに対し、ポニイは凸レンズを向かい合わせに2枚貼りあわせたラムスデン式レンズを採用。解像度は望めないものの個人が手元で動画を楽しむ分にはこれくらいで十分なのかな、と。
ランプは100V60Wの自社製を採用。ガラス側面に「m PONY」のロゴが入っています。1930年代中盤の本格的な映写機は250~500W位が標準でしたのでそれに比べるとまだまだ暗いです。それでもパテベビーやキード映写機(12V6W)を使い慣れた愛好家には大分明るく感じられたのではないでしょうか。
戦前期の国産映写機の歴史は、模倣と脱却の歴史でもありました。アルマのA/B型が英パテスコープ社の200B、エクラA型が仏パテ社のルーラル映写機のコピーだったのは以前に触れたとおりです。エルモや六櫻社にせよ、当初はベル&ハウエル製などを下敷きに映写機作りを始めています。今回のポニイは米キーストン社の初期16ミリ映写機をベースにしていました。9.5ミリ仕様にダウンサイズされたコピー機(手回しのハンドクランクだけパテベビー風です)と見て差し支えないかな、と。
[脚注]
[1] 官報 第二五七九號(昭和10年8月7日)
[2] 官報 第二九八八號(昭和11年12月16日)
[3] 『ワンダー・グラフ』 (大日本雄弁会講談社、キング文庫、昭和11年) 巻末の広告より
[4] https://aucview.aucfan.com/yahoo/u1162783646/




