ジョルジュ・ビスコ Georges Biscot (1886 – 1944) 仏

サイン館 フランス & ルイ・フイヤード [Louis Feuillade] より

Georges Biscot Mid 1920s Dedicated Photograph

英ユリイカ・エンターテイメントから『ティーミン』の4Kデジタル版ブルーレイが発売されました。英語字幕付きでリリースされるのは今回が初めて。カバーイラストにあしらわれているのはヒロインのティーミン(マリー・アラルド)ではなく、召使役のプラシッド(ジョルジュ・ビスコ)とその婚約者ロゼット(ジャンヌ・ロレット)でした。今後、少なくとも英語圏ではこの二人のイメージと結びついて『ティーミン』は記憶されていくことになるんでしょうね。

『絞殺する…足』(Le Pied qui étreint、1916年、ジャック・フェデー監督) 以下、『ティーミン』を除くスクリーンショットはGPアーカイヴより

ビスコは1910年代初頭、舞台を中心にお笑い芸人として知名度を上げていきます。1916年のジャック・フェデーによる連続活劇パロディー作品『絞殺する…足』で映画俳優デビュー。同作終盤で披露されたチャップリンの物真似は、この数年前にパリの舞台(フォリー・ベルジェール)で話題を呼んだ芸の再演でもあって、ビスコ氏の観察力と再現力の高さをよく示しています。

センスの良さを買われ、当時のパートナーであったジャンヌ・ロレットと共に1918年にフイヤード一座に参入。それまでマルセル・レヴェスクが担当していた活劇内の喜劇パートを任されるようになります。『ぶどう月』はまだ端役程度の位置付けながら『ティーミン』以降は準主演クラスに格上げされる形で存在感を増していきました。

『ギュスターヴ君は霊が見える』(Gustave est médium、1921年)

1923年の『スティグマ』に至るまでフイヤードが手がけたほぼ全ての作品に出演。連続劇や長編の合間に撮影された喜劇短編(『ギュスターヴ君は霊が見える』)でも主演を務めています。

『自転車の王』(Le Roi de la pédale、1925年、モーリス・シャンプル監督)

フイヤード没後は自身の結成した一座での公演活動が中心となり映画出演は減っていきます。それでも業界との接点は持ち続け、フイヤードの娘婿に当たるモーリス・シャンプルの監督作に幾つか主演。ツール・ド・フランスを舞台にした『自転車の王』(1925年)はそれまでのお笑いの一面とは異なり、ビスコ氏のアスリートの側面を記録した点で興味深い一作です。ちなみにこの作品で後年のフィルム・ノワールの大家アンリ・ドゥコワン(Henri Decoin)が脚本家デビュー、戦前期のフイヤード活劇から戦後の仏フィルム・ノワールにたすきが渡されたという重要な一作です。

[IMDb]
Georges Biscot

[Movie Walker]
ジョルジュ・ビスコ