ジェーン・グレイ Jane Grey (1882 – 1944) 米

サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア & ルイ・フイヤード [Louis Feuillade] より

1922 Jane Grey Inscribed Photo

早くから米國劇界に名を擧げた女優で、約十年紐育に舞臺生活を續けて後斯界に入り、ト社フアインアンツ映畫に出演し『七少年』外數種を殘し、ウオールド、インターナシヨナル兩社を經てホール映畫に出演。

「ヂエーン・グレー孃」
『世界活動写真俳優名鑑』(森富太編、活動評論社、1919年)


1900年代末からブロードウェイで女優活動を初め、1914年に演劇プロデューサーのアル・ウッズが手掛けた『キック・イン』のモリー役で高い評価を得る。同時期に映画への出演を開始。舞台との同時並行で出演数は控えめながら、演技派としてフェイマス・プレイヤーズ社やメトロ社、ユニヴァーサル社、ファインアーツ社、米パテ社など各社作品でヒロインを務めています。

モーション・ピクチャー・ニュース誌 1916年9月11日付号より米パテ社作『テスト』広告
フォトプレイ誌 1918年9月号グラビアより
『人種の創生』(The Birth of a Race, 1918)でのジェーン・グレイ

1920年頃に一度フランス映画界と接点を持ち、ルイ・フイヤードの求めに応じて同監督の中期連続劇『みなしご(L’Orpheline)』と『パリゼット(Parisette)』の二作に出演。

デビュー直後は娘役を得意としており、朗らかさと柔らかさを兼ね備えた芸風を生かして1910年代後半には母親の役も回ってくるようになっていました。フイヤード作品で求められていた役柄はそれともまた違った感じで『みなしご』では伯爵夫人役、『パリゼット』では富裕な銀行家(フェルナン・エルマン)の妻役…とアッパ―ミドルクラス~アッパークラスに属する貴婦人役を演じていました。

フイヤード監督は濃い褐色、あるいは黒髪の女性に特殊な思い入れを抱いており、1910年代中盤以降に様々なパターンを試していました。善悪どちらの側にも黒髪女優(マリー・アラルド、ジョルジェット・ファルボーニ)を配した『ティーミン』はその嗜好が強く出た一作で、『パリゼット』でジェーンさんの演じた気品ある人妻もその延長線上にあります。

[IMDb]
Jane Grey

[Movie Walker]
ジェーン・グレイ