ジャンヌ・ロレット Jane Rollette / Jeanne Rollette  (1891 – 1994) 仏

サイン館 フランス & ルイ・フイヤード [Louis Feuillade] より

Early 1920 Jane Rollette Autographed Postcard

今回ジョルジュ・ビスコと並んで『ティーミン』ブルーレイの表紙に登場したのがジャンヌ・ロレット。1910年代初頭にはミュージックホールで活動しており、当時から既にビスコと共演していた記録(1911年12月21日ユーロペアン座)が残っています。

1918年にフイヤード一座に参入。『ぶどう月』では旅芸人の相方、『ティーミン』では執事プラシッドの婚約者役と、同時に加わったジョルジュ・ビスコとセットの扱いをされていました。情に厚く、ほがらかで日々の生活をたくましく送っている庶民女性役を得意とし1922年までフイヤードと活動を共にしています。基本的には脇役女優なのですが『パリゼット』では1エピソード(第8章)が彼女メインの物語になっていました。


ジャンヌ・ロレットはビスコ氏夫人でエドゥアール・マテ氏の奥さんではありません。

シネ・プル・トゥス誌 1921年9月1日付 第73号 読者の質問コーナーへの回答

ビスコ氏はつい先日までジャンヌ・ロレットが自分の妻であると主張していたが、最近その主張を覆した。

シネ・プル・トゥス誌 1922年7月11日付 第95号 読者の質問コーナーへの回答

エドゥアール・マテとジャンヌ・ロレットは先日ルイ・フイヤード一座を離れ、現在はパリ市内と郊外の映画館で二人のために特別に書き下ろされた寸劇(『エストバン最後の飛行』)の公演を行っている。

シネ・プル・トゥス誌 1922年8月1日付 第96号

こちらの写真はフランスの花形映画俳優二人を撮影した一枚。エドゥアール・マテとジャンヌ・ロレットが映画館で寸劇を披露した後、子供たちの一団に囲まれている。写真中央は映画館のオーナーさんである。

モンシネ誌 1923年6月21日号

ジャンヌ・ロレットは仕事仲間のエドゥアール・マテ氏と籍を入れた。

「映画批評」誌 1927年1月17日号


ジャンヌさんは『パリゼット』の後、喜劇短編にひとつ出演してからフイヤード一座を離れています。同じタイミングでエドゥアール・マテも一座を離脱、以後活動を共にしていきます。長きに渡りビスコのパートナーであったジャンヌさんにマテ氏が手を出してしまい、二人とも居づらくなった流れだったのだろうな、と。フイヤード自身が中期作品に出演した若手女優と結婚した話を含め、表沙汰になっていない人間模様が見えない所で展開されていたのは容易に想像できるところです。

[IMDb]
Jeanne Rollette

[Movie Walker]
Jane Rollette