1915年ロスコー・アーバックル作品『なあんだ夢か』9.5ミリ版と21世紀に於ける同作再発見の周辺

映画史の館・アメリカ合衆国 & フィルム館・9.5ミリ (英パテスコープ) より

There’s a Smell of Burning (Fatty and the Broadway Stars, 1915, Keystone Film Company, dir/Roscoe “Fatty” Arbuckle)
1920s UK Pathescope 9.5mm print

先日『陸の人魚』と『太刀風』(『異人娘と武士』)を紹介した9.5ミリフィルムのコレクションに以前から探していたフィルムがひとつ含まれていました。ロスコー・アーバックル監督主演作 『なあんだ夢か』です。1915年末に撮影されたキーストン社の2巻物喜劇『デブ君とブロードウェイの花形たち』(Fatty and the Broadway Stars)をダイジェスト化した一本で後述の理由により入手の難しい状況になっていました。

まずはスキャン画像を元に9.5ミリ版の物語の流れを追ってみます。


活動寫眞を撮影中の現場、控室の役者はリハーサル前の準備に余念がなかった。しかし雇われている面々は粗忽者ばかり。掃除機でゴミを取ろうとして間違って花形女優(ポリー・モラン)のカツラを吸い取ってしまうなどてんやわんやであつた。

下っ端のデブ君(アーバックル)は一番の役立たず、いつも先輩(チェスタ-・コンクリン)から怒られてばかりの毎日であった。掃除の合間に撮影セットの片隅で一服。ほっと息をつき、眠気に負けてついウトウトしてしまう。

現場では囚われのヒロイン(アイヴィー・クロスウェイト)救出場面の撮影が始まっていた。脅しをかけてくる悪党たちを前に孤軍奮闘のデブ君。カメラを回していた監督(ハリー・グリボン)がふと手を留める。「何か燃えている臭いがしないか?」

火事だ!。撮影所は火に包まれていた。現場に閉じこめられ、セットに縛られたままの花形女優が迫りくる死を前に苦悶の表情を浮かべていた。デブ君は身を顧みず炎に飛びこんでいき、セットが崩れ落ちる直前に女優を助け出すことに成功した…

…という夢を見ながらうたた寝していたデブ君であった。手にしていた煙草が落ちて焦げた臭いを放っていた。「おやおや、脂身の焼けている臭いがするぞ。さてはデブ君が溶け始めているな」。仕事仲間は現場のホースで水を浴びせかけるのであった。

驚いて撮影所の外に飛び出したデブ君。燃えたはずの撮影所は何事もなかったかのように立っている。「なぁんだ、ただの夢だったのかあ」


『デブ君とブロードウェイの花形たち』は21世紀に再発見の進んだ無声映画作品の一つです。

ノルウェーの国立図書館が不完全でバラバラな35ミリポジ(6分相当)を所蔵。フィルムを見つけ出した研究者チームがデジタル修復と再構成を試み2008年に復元版を上映。この流れについては研究者チームの一員スティーブ・マッサ氏の『アーバックル再発見』にまとまった記述を見ることができます。

この復元版を観た一人が仏映画批評家のマルク・ヴェルネ氏でした。同氏は米マーガレット・ヘリック図書館に残されていたキーストン社のオリジナル脚本、仏シネマネーク・フランセーズ収蔵の粗筋など現存する紙資料とフィルムを照らしあわせ2016年に単独の研究書『ロスコー・アーバックルの「デブ君とブロードウェイの花形たち」』を公刊。書籍版とKindle版が市販された他、版元のリヨン大学出版社がオープンエディションで全文をオンライン公開しています。

一連の出来事はアーバックル作品の再発見・再評価の流れに位置付けられるのですが、一方で9.5ミリ小型映画視点からは又違った光景も見えてきます。


ほとんどの欧州版でキーストン社製作による一連のロスコー・アーバックル監督作9.5ミリが市販されており、『デブ君とブロードウェイの花形たち』(1915年)とメーベル・ノーマンドを主演に撮った『メーベルのわがまま』(1915年)が含まれていた。英国とフランスでは流通しなかった2作である。スキャンダルで大衆の寵愛を失った喜劇俳優を扱うと問題となりかねないの判断であったと思われるが、インドで市販されていた後述のフィルム群には『デブ君とブロードウェイの花形たち』と対応する10メートル作品『何か焼けている臭いがするぞ』を筆頭に幾つかのアーバックル作品が含まれていた。

『9.5ミリ小型映画エンサイクロペディア』 パトリック・ムールトゥルバドール出版、2020年)

A series of Fatty Arbuckle – Keystone comedies were issued in most European versions, and include FATTY’S DEBUT (1914) and MABEL’S WILFUL WAY (1915) with Mabel Normand. These did not appear in England and France, presumably the disgraced comedian was too contraversial, but the Indian collectionm referred to below, contained several, including the former as a correspondant 30ft item under the title THERE’S A SMELL OF BURNING.

The 9.5mm Vintage Film Encyclopedia, Patrick Moules
(Troubador Publishing, 2020)


この引用だけでは分かりにくいため補足していきます。

9.5ミリ版『なあんだ夢か(英題直訳:何か焼けている臭いがするぞ)』に割り振られた作品番号は「10.001」。「10」で始まる5桁の連番は英パテスコープ社による独自コンテンツに使われていたものです。1920年代中盤、同社が英国で市販し始めた9.5ミリフィルムの第一弾がこの作品になる予定でした。しかしアーバックルのスキャンダルを重く見た英パテスコープ社、仏パテ社は市販を中止したのだろうという話です。

「presumably」(おそらく/仮説としては)の表現から伺えるように同社の判断を記録した当時の資料が残っているわけではありません。あくまで推測レベルの話です。それでも確かに英国本土内では『なあんだ夢か』は流通しておらずカタログでも欠番扱いとされていました。

英国拠点で9.5ミリフィルム関連情報を発信しているサイト「パテフィルム.uk」に掲載されたカタログ番号順のリストです。連番が飛び飛びになっています。このうち「10000」「10001」「10023」「10027~10029」「10039」「10042」はアーバックル作品が入る予定の番号でした。英国で流通していた当時のカタログを元にデータベース化していくとこういった形になってしまうのです。

この市販中止は英国本土限定で、輸出用に提供された分については普通に流通していました。英領インドその一例。1980年代、インド由来の9.5ミリ小型映画コレクションにアーバックル監督作品が複数見つかり英国フィルム協会(BFI)に移されました。リストの欠番扱いがアーバックル作品だったとこの時に初めて判明したそうです。

イギリスとフランスは20世紀に於ける9.5ミリ小型映画の二大市場。結果的に再発見作業が最も熱心に行われている国にもなっています。ところがこの二つの国で『なあんだ夢か』は市販されていませんでした。フィルムの残っている可能性は「それ以外の国」が高くなります。

『9.5ミリ小型映画エンサイクロペディア』は英領インド、スペイン、イタリア、ドイツ、スウェーデンでの流通実績を確認していました。また筆者が所蔵しているラトビア語版やポルトガル語版カタログにもアーバックル作品を確認できます。

『パテベビー フィルム目録』
(パテベビー普及会、1927年)

さらに日本語版カタログを見ていくと:
 ・10000 デブ君の煩悶
 ・10001 なあんだ夢か(デブ)
 ・10023 デブ君とお祭り
 ・10027 不幸なデブ君
 ・10028 デブのスヰートホーム
 ・10029 とんだ災難(デブ)
 ・10039 お洗濯(デブ)
 ・10042 結婚後のデブ君
少なくとも8本のアーバックル作品が発売されていた記録が残っています。

今回現物が見つかりデータが裏付けられたことになります。「ほとんどの欧州版で発売されていた(issued in most European versions)」と書かれていた部分を「欧州、さらにアジアなどで」と拡張しても良い事になったのだと言えます。

『なあんだ夢か/デブ君とブロードウェイの花形たち』をめぐるこの15年程の動きは、大きくは「遺失したとされる35ミリフィルム再発見」の物語となっています。製作国のアメリカから離れた北欧で、しかも映像の保存を専門としている訳ではない図書館で見つかった意外性が物語をより魅力的なものとしています。

この物語には9.5ミリフィルム再発見のサイドストーリーが並走しています。当初にフィルムを市販する予定だった国で記録が失われ、見えなくなっていたものが21世紀の研究者、コレクターたちにより補完されていく過程を目の当たりにしているのです。

参考までに『ロスコー・アーバックルの「デブ君とブロードウェイの花形たち」』オンライン版に掲載されている35ミリポジのスキャンと9.5ミリ版のスキャンを並べておきました。トリミング幅や解像度の違いが見えやすいのではないかと思います。下段の画像は35ミリ版に欠けている場面からで、以前紹介したトッド・ブラウニングの『三人(The Unholy Three)』にも出演していた女優メエ・ブッシュを確認(後列中央)することが出来ます。

【参考文献】

  • 『アーバックル再発見』スティーブ・マッサ著 Rediscovering Roscoe: The Films of “Fatty” Arbuckle, Steve Massa (BearManor Media, 2019)
  • 『ロスコー・アーバックルの「デブ君とブロードウェイの花形たち」』マルク・ヴェルネ著 Fatty and the broadway stars de Roscoe Arbuckle, Marc Vernet (Presses universitaires de Lyon, 2015) オンライン版 https://books.openedition.org/pul/41215
  • 『9.5ミリ小型映画エンサイクロペディア』パトリック・ムール編著 The 9.5mm Vintage Film Encyclopedia, Patrick Moules (Troubador Publishing, 2020)
  • 「英パテスコープ社9.5ミリ無声映画カタログ(連番順)」グラハム・ニューナム@パテフィルム.uk PATHÉSCOPE 9.5mm silent film catalogue numeric order, Grahame Newnham (at pathefilm.uk, Last Updated 30 January 2023) http://www.pathefilm.uk/95flmcat/95flmcatpsiln.htm