1928 – 9.5mm 『チャップリンのサーカス』(ユナイテッド・アーティスツ、チャールズ・チャップリン) 1920年代末 伴野商店独自プリント

フィルム館・9.5ミリ (伴野商店) より

Circus (United Artists, dir/Charles Chaplin, 1928)
c1930 Japanese Banno Co.
(most likely unauthorized) 9.5mm Print

伴野商店が1929年末頃に作成した9.5ミリフィルムの日本物在庫表には「チャップリンのサーカス」と「キートンの大學生」が並んで掲載されています。古くから人気のあったお二方ですし、「日本語版で観たい人も多いよね」位にさほど気に留めてはいませんでした。今回リストを見直していてふと気になったのが、両作品とも「特大罐」の欄に名前が載っていたこと。

そうだ、数か月前に「チャプリン」と書かれた一巻物フィルムを手に入れて確認していなかった…と思い出しました。棚を漁って引っ張り出してきたのが上のフィルム。2023年8月に紹介した『春はまた丘へ』と同じ出所で、会津若松市にあったキリスト教伝道所・會津新生館の旧蔵品です。

フィルムには小傷が目立ち、冒頭が欠けている上数ヶ所切れています。修復がてら内容を確かめてみたところリストに載っていた『チャップリンのサーカス』でした。エンドマークは「終」の漢字表記、ただし字幕部分は英語のみの仕様でした。

『サーカス』のオリジナル公開は1928年。『黄金狂時代』(1925)と『街の灯』(1931)の間に位置し、ユナイテッド・アーティスツ社での第3弾作品となったものです。9.5ミリ小型映画で10メートル/20メートルのボビン(缶)に代わり80~100メートル対応の大型リールが使用され始めたのが1926年で、リールでの映写に慣れ始めた日本のパテベビーユーザーにタイミング良く届けられたチャップリン新作だったことになります。

9.5ミリ版は物語を大きく省略したもので
1)演芸場でスリをしているチャップリンのエピソード
2)ミラーハウスでの捕物
3)サーカス団員となったチャップリンによる綱渡り、の3つの場面で構成されています。オリジナルでは2)と3)の間にマーナ・ケネディとの恋物語が展開、ほろ苦い結末へと続いていきます。伴野版はこの人情ロマンスを排し、スラップスティックな要素を中心にまとめた編集となっていました。

手持ちのコレクションに新たな一本が加わってめでたしめでたし…とはいきませんでした。『チャップリンのサーカス』の「9.5ミリ版」はそもそも存在しないはずなのです。

以前『チャップリンズ・ヴィンテージ・イヤー』(2013年)の紹介で触れたように、チャップリンの初期短編は多難な運命をたどっています。ネガが様々な人の手を経る内に公開時の形が失われ、無数の短縮版・抜粋版・独自編集版・海賊版が横行。観る側からすれば楽しめれば良しという話であっても、作り手側にとって決して本望とは言い難い状況でした。

結果、『給料日』と『巡礼』の2作を最後にチャップリン新作はパテベビーのカタログに登場しなくなります。小型映画化の権利を取得できなかったという話で、『キッド』や『犬の生活』『黄金狂時代』『街の灯』がパテベビー映写機で実写される機会はありませんでした。『サーカス』も同様で、仏パテ、英パテスコープ、米パテックス、独パテックスのいずれも9.5ミリ版の発売記録は残っておりません。

伴野商店が独自に9.5ミリ化したのは『サーカス』だけではありませんでした。同社の「日本物」カタログの88番として掲載されている『ゴールドラッシュ』(黄金狂時代)も欧米圏では9.5ミリ化されなかった作品です。

同じ動きをバスター・キートン作品にも見て取れます。仏パテ社が幾つかキートンを9.5ミリ化しているのですが、全て1920~22年作品です(『ハードラック』『白人酋長』『マイホーム』『ゴルフ狂の夢』)。1920年代中盤以降の作品は9.5ミリ化の許可が下りなかったにもかかわらず、伴野商店だけ自社カタログ128番で『キートンの大學生』(College、1927年)、362番で『キートンの名探偵』(Sherlock Jr.、1924年)を発売しているのです。

余程の好条件を提示した、またはユナイテッド・アーティスツ側の厚意で伴野商店が小型映画化権を獲得していた…そうであるなら問題はありません。ただ、『サーカス』のプリントを見た上で言うと怪しいのではないかな、と。

同作は初期スラップスティック劇の要素と、齢を重ねたチャップリンの人情味溢れる演技をバランスよくブレンドさせた作品でした。伴野版は尺の都合から前者のみに焦点を当て、後者を完全に切り捨てています。ユナイテッド・アーティスツ社は作り手の権利を守るためにフェアバンクス、チャップリン等が創設した経緯もあってこの手の恣意的な編集に厳しかったはずです。

また本当にOKが出ていたとすると、例外を認めたことになります。『サーカス』がOKなら他の作品も、日本で許されるなら他の国でも…いったん認めてしまうと原則は成り立たなくなってしまいます。チャップリンやキートン等、固定フアン層のいるビッグネームの新作はどの9.5ミリ発売会社も喉から手が出る程欲しかったはず。それでも業界の風向きは「9.5ミリでの切り売りは止めましょう」でした。それなのに本家を差しおいて日本の1メーカーだけユナイテッド・アーティスツ(『サーカス』『ゴールドラッシュ』『大學生』)、さらにメトロ社(『名探偵』)とも交渉を成功させていた…そんな都合の良い話があるでしょうか。

となると正式な許諾を得ないままに9.5ミリ化~市販を行ったフィルムではないか、の疑いが出てきます。

フィルムの正体を探るため、現行DVD版と字幕を比べてみました。左が1960年代のネガをベースにしたDVD版。右が伴野9.5ミリ版。伴野版のフォントが太く見えますが、これはDVD版がコントラストを強調し、伴野版が上下左右をトリミングしているせいです。伴野版のコントラストと余白を調整すると下になります。

同一の字幕です。伴野商店は何らかの形で『サーカス』の35ミリネガ(あるいはポジ)を入手、自社で9.5ミリにダウンスケールしてます。

問題はどことかけあって原版を手に入れたか、です。『サーカス』の日本初公開は1928年3月、松竹系でした。この際、配給会社は日本語版の元となる英語版ネガをユナイテッド・アーティスツ社から受け取っています。この近辺の担当者とやりとりしネガを借り受けたのでしょうか?…いや、それだと辻褄があいません。英語字幕版と日本語字幕版どちらも扱っている相手と交渉しているのなら日本語版をそのまま使わせてもらえば良い話です。

伴野商店は日本語字幕版を持っていない会社から35ミリプリントを借りたのだ、という話になります。ユナイテッド・アーティスツと正式に契約を交わした上で借用したなら良いのですが…そうでなければ、いわゆる並行輸入されたプリントだったのではないかなと。

1910年代~20年代の日本の映画界に於いて、映画作品を巡る権利の扱いは非常にルーズでした。説明本という体裁で著者権所有者の許可を得ないまま二次創作作品を刊行したり、齣フィルムの形で小銭稼ぎを行ったりも現在では完全にアウトな行為です。『活動画報』誌1921年9月号に掲載された「映畫の製作權と興行權」で糾弾されていたように正規ルートではない形でフィルムを持ちこむ「不正輸入」が発生していた時代でもあり、伴野商店もきちんと確認せずこのルートに乗っかってしまったのではないのかな、と。正規の手続きを踏んでいたと信じたいところですが…古い話で記録は残ってないのでしょうね。

伴野商店は仏パテ社、英パテスコープ社のフィルムを輸入しており、一方で独パテックス社、米パテックス社の作品は一切扱ってはいませんでした。当時の経理状況の資料から米国企業と金銭のやり取りがあったのかどうか、あったのであればどこが相手だったのかを特定し外堀を埋めていく方法くらいしか現時点では思いつかないです。

いずれにせよ、この4作品(『サーカス』『ゴールドラッシュ』『大學生』『名探偵』)は9.5ミリ形式で発売されたのが日本のみ。しかも欧米圏の9.5ミリ専門家、研究者、チャップリンやキートン愛好家も気づいていない現状です。珍しいプリントであるのは間違いなく、見かける機会があったらその時点で捕獲をお勧めしておきます。