サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより
久しく映畫界を支配して居たセダ・バラ型のヴアムパイアーのタイプを破り外面的なバラ型に代るに内面的にヴアムプを表現する事に着眼し、美事に成功して、大きなシヨツクを映畫界に與へた新に發見された女優で、本年二十八歳故、今後行く可き道は決定して居るが、如何なる點まで延びるかが興味深い問題である。ヴア―ジニア州リツチモンドの生れ、映畫界に入る以前は、ヴオードヴイルに、舞臺にダンサーとして名聲を得、又劇作家としても相當に認められて居たが、ダグラス氏の三銃士に依つて映畫界に入り、その特異の毒婦役は忽ち人々の注目する所となり、一映畫毎に人氣を得て今日に至つたのである
「 La Marr, Barbara バーバラ・ラ・マール」
『映画大観』
(大阪毎日新聞社 活動写真研究会編、春草堂、1924年)
バーバラ・ラ・マー孃はヴア―ジニア州リツチモンドに生を受け、同地の私立學校で教育を受けた。僅か七歳にして初の舞臺を踏む。ボードビル劇での契約をものにし舞臺出演を續けていく。舞踊を修め、ブロードウエイのミュージカル喜劇作に主演格で登場。生業として舞踏を披露していた孃をドーグラス・フエアバンクス氏が「發見」、映畫界でものになりさうだとなりド-グラス氏との共演『三銃士』で銀幕デビユー。銀幕の「ヴアンプ女優」ともされる彼女は寛大な心の持ち主で、殊に子供好きとして知られる。幼き男子を養子と成し身を粉にして育てている。スポーツ万能、身長は五尺四寸、體重十四貫七百匁、黒髪に綠眼を有す。
『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)
BARBARA LA MARR was born in Richmond, Va., and received her education in local private schools. She made her first appearance on the stage in a stock company production when but 7 years of age. This she followed with a vaudeville engagement. She is an accomplished dancer, and has appeared as a featured player in Broadway musical comedy productions. While dancing professionally, Douglas Fairbanks “discovered” Miss La Marr as a screen possibility and she made her debut with him in ‘The Three Musketeers,” making a most favorable impression. She is a generous hearted girl, this “Vamp” of the screen, being especially fond of children. She is the foster mother of an adopted baby boy, and is devoted to the child. All athletics appeal to her, and she is 5 feet 4 inches tall, weighing 123 lbs., and possessing black hair and green eyes.
Barbara La Marr
“Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies”
(New York George H. Doran Company, 1925)
『心なき女性』で一時に人氣を高め、その後數々の映畫で豊麗無比な容姿をスクリーン一杯に現はしてゐたヴアンプ女優のバーバラ・ラマ孃は數ヶ月來神經痛に惱まされてゐたが遂に一月三十日に死去したといふ報があつた、まことに惜しい女優である。
『劇と映画』(国際情報社、1926年3月号)
1920年代中盤に『三銃士』でフェアバンクスのパートナー役に抜擢、旧来型のヴァンプ女優とは一線を画したモダンな妖艶さで、日本でも作家谷崎潤一郎を含む多くのフアンを生み出していたのがバーバラ・ラ・マーでした。
ラモン・ナヴァロと共に主演を務めたイングラム監督作『心なき女性』は1924年1月に帝国館で封切。キネマ旬報のランキングでは芸術作品部門で8位、娯楽作品部門で10位に入ります。順位だけを見ると『結婚哲学』(芸術部門2位)や『ノートルダムの傴瘻男』(同6位)、『幌馬車』(娯楽部門1位)より低いのですが、芸術/娯楽の両カテゴリーに同時にランクインしたのは『心なき女性』のみ。エンタメとしてもアートとしても優れている、バーバラ・ラ・マーはこの作品で日本での評価を確立していきます。
1925年後半、オーバーワーク、睡眠不足、アルコールや薬物依存などが重なり体調を崩して療養に入ります。同年11月にロスアンゼルス・タイムスに掲載された記事では「近日中の復帰」を約束。しかしその願いは叶わず約3ヶ月後の1926年1月末に訃報が届きました。直接の死因は結核とされています。
夭折した無声期ハリウッドの佳人ではオリーヴ・トーマスやアルマ・ルーベンスと並ぶ、あるいはそれ以上の知名度の持ち主で、現在でも言及される機会が多いため本稿であえて詳しく紹介する必要はなさそうです。ただ、一点見過ごされている要素があるのではないか、と。



絵葉書から分かるようにバーバラ・ラ・マーは斜視(strabismus/cross-eyed)の持ち主でした。言われないと気づかない程度ですが『売られ行く魂』のサンプル画像を見ても両目の軸がずれているのを確認できます。
無声期の映画界には斜視の俳優が一定数見られます。有名なのが喜劇俳優のベン・ターピンで斜視そのものがトレードマークとなっていました。
ノーマ・シアラーは右目に内斜視が入っていますし、無声映画後期~トーキー初期にかけ喜劇女優として抜群のセンスを見せたザス・ピッツは左目に外斜視が出ています。以前にサイン物を紹介した独女優ミア・パンコーも外斜視です。
均整が取れている=美しいの価値観だと斜視はマイナス要素に受け取られがちです。上に挙げた俳優たちの例を見ていくと必ずしもそうではないのかな、と。ノーマ・シアラーは整った顔立ちの持ち主ですが、整いすぎて印象が薄いんですよね。そこに僅かな非対称性が介入することで記憶に残る人間的な美しさが完成していく。ザス・ピッツは元々目の間隔がやや開いているところに斜視の要素が加わり唯一無二の造形美にまとまっている…
バーバラ・ラ・マーも同様。旧来型のヴァンプ女優の概念を非対称性の美しさで更新していく。ある種の不安定さ、脆さを含みこんだ斜視は個性であり武器でもありました。均整がとれている「だけ」の凡庸で不自然な美しさが溢れている現在だからこそ積極的に評価していきたい要素です。


今回入手したスクラップブックの断片






入手できなかったスクラップブックの他ページ
今回絵葉書と別ルートでサイン物を一点入手。元々は雑誌の写真や記事を切り貼りしたスクラップブックにサインを貼って管理していたものです。単体だと正体が良く分からないのですがアンナ・Q・ニルソンやトム・ミックス、アントニオ・モレノなどは確かに直筆。1910年代後半~20年代にかけてハリウッド映画を熱心に追っていた人物の旧蔵品です。
[IMDb]
Barbara La Marr
[Movie Walker]
バーバラ・ラ・マー







