サイン館 フランスより
現在触れられる機会こそ少ないものの、無声映画時代にハリウッドに進出し目覚ましい活躍を見せたフランス人俳優の一人がシャルル・ド・ロシュフォールでした。
アルジェリア生まれで若くしてパリに上京、舞台役者として旅芸人一座に加わり演技の経験を積んでいきます。1910年代初頭、映画産業が盛り上がる中でパテ社と契約、当時同社の花形であった喜劇俳優マックス・ランデの相方に選ばれ知名度を上げていきました。
大戦中に従軍し一旦は俳優キャリアが途切れましたが、終戦後の1920年から映画俳優業に本格的に取りかかっていきます。シリアスな性格俳優指向を強め、アンドレ・ユゴン、レオンス・ぺレ、アンリ・プークタル、アンドレ・アントワーヌ等この時期のフランスの無声映画界で最も優れた監督に重用され評価、人気を高めていきました。
9.5ミリ小型映画の流通が始まったのが丁度このタイミングでした。仏パテ社のカタログにはロシュフォール主演作が2作(アントワーヌ監督による『アルルの女』とユゴン監督の『カマルグの王』)含まれており、この内後者は以前にサイトでフィルムの実物を紹介しています。
意志の強そうな鷲鼻にくっきりした目鼻立ち、鍛え上げた屈強な体躯はとても画面映えします。レオンス・ペレ監督が米国で製作した『ダイヤの帝国』(1920年)、英パラマウント社の『スペインの翡翠』での脇役により英語圏でも名を知られるようになり、1923年に米パラマウント社と契約。以後チャールズ・ド・ロック(Charles de Roche)名義で、ドロシー・ダルトン(『無法者の掟』)やポーラ・ネグリ(『チート』『巴里の暗影』)を相方としたパラマウント作品で主演を張るようになりました。
また同社によるデミル大作、無声版の『十誡』ではラムゼス二世に配されその美丈夫ぶりを発揮しています。6年の滞米生活の後フランスに帰国。この後は『ありし日のナポレオン』(1925年)など出演は数作に留まり映画界から一旦は離れています。フランスにトーキーが定着し始めた1930年代初頭、配役を変えたパラマウント社の作品の仏語版作品の監督として一旦カムバック、以後数年に渡り制作側から映画界を支えていきました。
[IMDb]
Charles de Rochefort
[Movie Walker]
シャルル・ド・ロシュフォール





