日本・男優 より
同志社大學神學部を卒業して、新聞記者、童話作家、歌劇俳優となり、帝キネに入社してからは、三枚目、老役、敵役と、人の嫌がる役をつとめて、毎時成功している、明治二十四年德島に生る。趣味は讀書と運動。
『世界のキネマスター』
(1925年5月、報知新聞社出版部)
本名は濱田格、明治二十四年二月十日德島市に生る。德島中學から同志社大學を卒業後名古屋新聞社記者から童話作家、脚本作家それから藝術座で、「生ける屍」に出演後、歌劇の原信子一座に出演し而して帝キネに入社し映畫俳優としての第一歩を踏み現在。最近受持ちが喜劇専門になつて居るので、殆ど續けざまに主演喜劇を作って居るのでどれが一體主なるに屬するかはつきりしないが一寸變つたものとしても「港の一夜」の惡役を久しぶりにやつた事と「彌次喜多」の喜多八で始めてチヨンマゲをかぶつた事位だと言つて居る。身長は五尺五寸二分で體重は十四貫六百匁。趣味は讀書、旅行、音樂、運動競技。嗜好物はコゝア、コーヒー、牛肉、バター、シオカラ、ウニコノワタ(但し酒は用ひず)等々。大阪市西成區田端通り三丁目廿番地に現住。
「濱田格」
『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映畫世界社、1928年)
1920年代中盤から帝キネの主要メンバーとして愛好家に馴染みの深かった濱田格氏が、徳島中学時代の同級生の年賀状に応えて送った賀状返信。返信の遅れを謝罪する手書きの文が付されています。
以前に紹介した帝キネ中期の蘆屋現代劇部勢揃いの絵葉書では後列、向かって一番右端に立っている姿を確認できます。
[JMDb]
浜田格
[IMDb]
Kaku Hamada



