巡礼 より
2年半ぶりに訪れた京都は小雨のぱらつく生憎の天気でした。
2022年の正月休みに訪れた時と同じく、四条大宮から鷹峯源光庵までバスで移動し、そこから徒歩で吟松寺へと向かいます。雨といっても時々小さな雨粒を肌に感じる程度で、紙屋川沿いの木々は瑞々しい緑に輝いていました。
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千束坂を下ったところで軽トラの兄さんに声をかけられました。
「金閣寺まで送っていこうか」
「そこの吟松寺でお参りをしていきます」
片手を軽く上げた「了解」とともに軽トラは南に走り去っていきました。
吟松寺の南東、柳さく子地蔵は記憶にあるままの姿で静かに佇んでいました。京都という町が時代、社会の流れにあわせ刻一刻と変化し続けていく中でもこの一角は大きく変わることなく、数年、数十年経っても穏やかな静寂で訪ね人を迎えるのでしょう。
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初めて来たときに置いて帰ったネックレスが雨風に晒されて傷みが目立っていたので代わりを持参。銀箔を置いた真鍮を重ねてあって写真を収めることができます。ハイカラすぎるかなと心配しましたが普通に着こなしていますね。
「これでも若い頃は撮影所で一二を争う別嬪といわれたのよ」
「そうでしたね、これは失礼しました」
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朽ちていくもの、芽吹いていくもの、通り過ぎていくもの、留まり続けていくもの、すでに形を失ったもの、いまだ形をとらざるもの…万象が新緑の光と影に溶けこんだ一角、微かな風鈴の音色に送られ寺を後にしました。次回は10年目の節目の茶菓子でも持参しますね。