1930年頃 – 9.5mm 個人撮影動画 『東京』&『佐渡が嶋』

フィルム館・9.5ミリ (個人撮影動画・日本) より

Tokyo & Sado Island
c1930 9.5mm Japanese Home Movie

『地雷火組』を所有していた人物が1930年前後に自身で撮影した個人撮影動画2本。1本目は汽車で東京を訪れた際に目についたランドマークを撮影したもの。もう1本は佐渡を訪れた折の映像を中心にまとめています。

1) 『東京』 富士山、丸ノ内ビルヂング、東京駅、靖国神社、都電(本通線?)

『地雷火組』のケースに同作の一部とつながる形でまとめられていました。パテベビー映写機用の空ケースがなかったため既製品を転用したと思われます。全篇を通じて露出過多でコントラストが低めに出ています。

冒頭は汽車の窓越しに撮った沿線風景。住宅が映し出されていった後、建物が途切れてしばらく経つと遠景にうっすら富士山が見えてきました。

東京駅に到着、丸ノ内側から出て駅前のロータリー当たりから正面に建っている丸ノ内ビルヂングを撮影。駅から少し離れたところで振り返り、東京駅を動画に収めています。駅前を路面電車が走っている動きをカメラの視線が追っていきます。

続いて映し出されたのは靖国神社の第一鳥居。行事などが行われていた訳ではなさそうで人気もまばら。

最後の映像はやや坂道になった人通りの多い通りを捉えています。画面の中央部が三叉路になっており異なった二系統の都電が乗り入れています。靖国神社の南側には須田町から新橋を結ぶ都電最古の路線・本通線が走っていました。おそらくこの映像もその途上のどこかを撮影したものと考えられます。

丸ノ内ビルヂングを撮影する際には右から左へカメラを移動。以前何度か試した(清水寺小石川後樂園ペナン島・ジョージタウンの水上住宅)ように、この形で撮影された動画はスクリーンショットを上手く並べることでパノラマ風の全景を再構成することができます。

(左)旧丸ビルを設計した三菱地所設計のサイト(https://www.mjd.co.jp/130th/mukashiima07.html)より
(右)グーグルマップのストリートビューより2022年7月時点の新丸ビル

丸ノ内ビルヂング(通称「旧丸ビル」)は1923年(大正12年)に完成、当時東洋で最大の容積を誇った建物でした。大規模化と高層化のため2002年に解体され、現在は丸の内ビルディングとなっていますが、下層部は先代の面影を残すデザインが採用されています。また、旧丸ビルの左手(方角的には西)に見えている建物は昭和5年(1930年)に完成した東京海上ビルディング新館です。

2)『佐渡が嶋』笹川流れの奇岩、粟島、真野宮、両津港、両津橋

もう一本の動画は佐渡を訪れた際に撮影されたもの。冒頭では海岸近くのグラウンドで体育(小規模な運動会?)をしている子供たちの姿が映し出されていきます。その後暗転、船から撮影された映像に切り替わります。甲板に出た乗客がみな湾岸部を見ていますので「笹川流れ」と呼ばれる、奇岩の多い湾岸沿いの風景を遊覧していると思われます。水平線上に見える島影(粟島)が映し出された後、船上で移動している乗客たちが捉えられ、次第に港が近づいてくる様子が撮影されていました。

佐渡島の島内で撮影された映像はワンショットのみ。順徳上皇を祀った真野宮を正面から撮影したものでした(下の画像は戦前期の絵葉書より)。

動画の最後は両津港を収めています。木製桟橋に見送りの人々が並び、旗を振りリボンを投げて別れを惜しんでいます。画面奥には両津橋の姿が写りこんでおり、その東西にそれぞれ税関、警察署の建物を見ることが出来ます。