1920年代末 – 9.5mm 『夕やけ小やけ』 (日本童謡表情会) 伴野商店9.5ミリプリント

フィルム館・9.5ミリ (伴野商店) より

Yuyake Koyake (The Sunset Glow) Late 1920s Banno Co. 9.5mm Print

夕やけ小焼やけで
日が暮れる
山のお寺の鐘がなる
お手々つないで
皆かへろ烏も
一しよにかえへりませう

皆な帰つた
あとからは
まるい大きなお月様
小鳥が夢を
見るころは
空にはピカピカ銀の星

昭和3~4年(1928~29年)にかけ日本でも踊りや舞を収めた9.5ミリフィルムが市販され始めました。

伴野商店のリストでは作品番号50番に「踊り」と分類された『江差追分』が登場。少し置いて66番から「舞踊」に区分される3本(『夕やけ小やけ』『かなりや』『しかられて』)が発売されています。『夕やけ小やけ』はこの童謡舞踊フィルムの第一弾に当たるものです。

1番・2番ともに横一列の並びで始まり3名ずつのユニットに分かれていきます。足の踏み出し方、手先の形や甲の向き、首の傾げ方、袖の使い方に指示が出されていて、3名に分かれてからはしゃがんだ者と立った者で三角の構図のフォーメーションを展開。無声のフィルムのため音楽との対応が分かりにくいものの、動作の一部には歌詞を再現しようとした表現(「お手々つないで」「小鳥が夢を見る」)を見ることができます。

「童謡舞踊 雀踊り」 『金の星』1925年5月号

1920年代は童話・童謡の流行が本格化した時期でもありました。児童誌『金の星』1925年5月号に掲載された「雀踊り」の振付けを見ると『夕やけ小やけ』と同質の発想が含まれているのが分かります。

また同時期には童謡を児童教育にどう活用していくかの議論が活発になっていました。

動作のついた童謡民謡が、初歩の音樂教育の上に極めて重大な使命をもたらすのである。

『詩と音楽と舞踊』
小林愛雄(1924年、京文社、音楽叢書第4編)

林きむ子氏の童謡舞踊についての所説が就中参考にならうと思ひますから引用することに致しました。
『舞踊の効果をあらまし二つに分けて見ますと、第一は舞踊の「形」に及ぼす効果でございます。舞踊を致しますと、筋肉が柔らかになり、動作が靜かになりまして、起居動作に一つの自然的な美しさが現はれてまゐります。第二に舞踊が人間の精神に及ぼす影響でありまして、これは身體的方面よりもつと深い關係があるやうに思いひます。[…]』

『童謡と童心芸術』
野口雨情(1925年、 同文館)

1927年に創刊された雑誌『音樂界』では西洋の音楽教育論の影響を受けつつ、それを日本の教育環境に適合させていく理論構築の試みが見られます。同誌に「童謡の振付につきて」(1928年6月号掲載)などの論考を寄稿していたのが日本童謡表情会の主幹・杉山忠平氏でした。

伴野版『夕やけ小やけ』はこういった流れを受け、児童の情操教育、立ち居振舞いの美しさを学ぶ場としての「童謡舞踊」の実践例を扱った作品として発売されています。


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