ハラスティ・ミツィ Haraszti Mici (1882 – 1964) 1912年の直筆メッセージ入りキャビネット写真

サイン館・ハンガリー より

Haraszti Mici 1912 Inscribed Cabinet Photo

1900年代初頭に舞台女優としてデビュー、映画女優業も並行し1950年代まで息の長い活躍を続けたハラスティ・ミツィがキャリア初期(1912年3月)に残した直筆メッセージ入りの鶏卵写真。ブタペストのセネシュ写真館による撮影でサイズは縦21.0×横13.0センチ。

「演劇生活(Színházi Élet)」誌
1914年3月8日-15日付第10号より『シビル夫人』紹介
右写真に主人公シビル役のフェダーク・シャーリ、左写真に大公夫人役のハラスティ・ミツィ。中央にはマネージャーの妻役でラーバシュ・ユーツィの姿があります

旅回りの演劇一座のメンバ―として下積みを重ね、1911年にブダペストのヴィーグ劇場に転籍してから演劇フアンの知名度を上げていきました。1914年にヴィクトール・ヤコビ作の喜歌劇『シビル夫人』が初演された際、主人公のシビル夫人(フェダーク・シャーリ)が大公夫人と誤認され、公爵とロマンティックなやりとりを交わしている最中にやってくる「本物の」大公夫人がハラスティ・ミツィでした。『シビル夫人』はハンガリーのみならず、役者を変えてブロードウェイで上演され成功を収めています。

「演劇生活(Színházi Élet)」誌 1916年2月13日-20日付第7号
『大尉の剣緒』(A tiszti kardbojt、1915年、コルダ・シャーンドル)紹介ページ
左の写真で椅子に座っている女性がヒロイン・ユディット役のハラスティ・ミツィ

この後、1915年から映画とも関りをもつようになっていきます。ケルテース・ミハーイ(マイケル・カーティス)、コルダ・シャーンドル(アレクサンダー・コルダ)、バローグ・ベーラ、デエーシー・アルフレード等のハンガリー無声映画期の主要監督の作品で重用され、時にヒロインとして、時に脇役として銀幕を彩っていきました。

このうち映画デビュー作となった『二人に愛されし者』(Akit ketten szeretnek、1915年、ケルテース・ミハーイ)が現存している他、近年フィルムが発見され、修復作業の完了が最近伝わってきたばかりのホッライ・カミッラ主演作『死後』(A halál után、1920年、デエーシー・アルフレード)にも脇役としてクレジットされています(配役などは現時点で未詳)。

この後一度は映画界から離れたものの1930年代となって活動再開。ハンガリー初期トーキーの秀作として名高い『執事ヒッポリット』(1931年)を筆頭に多くの作品に助演し同国の映画界を下支えしていきました。

[IMDb]
Mici Haraszti

[Hangosfilm]
Haraszti Mici

[Movie Walker]