小人症映画小史 より
英語には人の体の小ささを現す「titchy(ティッチィー)」という形容詞があります。語源となったのが1880~1920年代に活躍した喜劇芸人、リトル・ティッチ氏でした。本名ハリー・レルフ。英サセックス州の生れで早くから芸人の道を志し、12歳で舞台デビュ-。赤ん坊から女装まで多彩なレパートリーを備えた形態模写(物まね芸)と、身体能力の高さを生かしたアクロバティックな出し物の二つを売り物に人気、知名度を拡大していきました。
同氏が初めてフランスの観衆の前に姿を現したのは1896年(明治29年)。
面白いと評判を呼んでいるお笑い芸人の多くも、リトル・ティッチを繰り返し観にいけば学ぶことがさぞ多かろう。この並外れた小人は、かつての宮廷道化師や王侯に雇われていた狂人を彷彿させるものがある。
「舞臺便り」
政治文芸論叢紙 1896年12月16日付
Combien de comiques, réputés amusants, auraient profit à voir souvent Little Tich! Ce nain extraordinaire fair revivre à nos yeux les bouffons des soties et les fous royaux.
Courrier des théâtres
Journal des débats politiques et littéraires, Décembre 16, 1896
時に狂気すれすれのエキセントリックさを醸し出しながら、個々の演目は良く練りこまれていて動作、表情やタイミングを隅々まで緻密にコントロールしている…こういった芸風は当時のフランスには見られなかったもので、リトル・ティッチ氏を瞬く間に仏ミュージック・ホールのトップスターへと押し上げていきました。
折しも時代は新興芸術、活動写真の勃興期に当たります。
1900年に開催されたパリ万博で、仏ゴーモン社は音声(シリンダーレコード)と手彩色の映像を同期させた独自のサウンド&カラー映画システム「フォノ・シネマ・テアートル(Phono-Cinéma-Théâtre)」を出展。同社総がかりで取り組んだ大規模な企画で、当時フランスの舞台で人気を博していた役者や芸人を動員し30作品が制作されました。名女優サラ・ベルナール演じる『ハムレット』からクレオ・ド・メロードによる『ジャワ風の舞踏』まで古典芸術~大衆芸能を広くカバー。この企画の一環として、リトル・ティッチ氏による名物出し物のひとつ『リトル・ティッチとデカ靴』が収録・公開されました。
その実力、人気にはジョルジュ・メリエスも着目。1905年の『パリ・モンテカルロ2時間レース』冒頭に国賓役で登場させています。
現在、IMDbのハリー・レルフ氏のエントリーには『リトル・ティッチとデカ靴(1900年)』『パリ・モンテカルロ2時間レース』の2作しか登録されていません。他にも蛇の舞(ダンス・セルパンティーヌ)で名を上げたロイ・フラーのパロディ『なんちゃってロイ・フラー』、初期からの人気演目『なんちゃってスペイン風舞踏』『リトル・ティッチとデカ靴(1907年バージョン)』の計3作がGPアーカイヴに保存されています。
それは目に見えぬ闘いでもあつた。ティッチ氏自身の告白がなければ、そして当時の舞臺批評家や作家たちが最大級の賛辞を送っていた際、自分たちの使っている「小人」や「侏儒」の言葉が氏の心をどれ程深く傷つけていたかを知らなければ想像すらできなかった類の闘いであつた。
「リトル・ティッチ回想」アンドレ・ルグラン=シャブリエ
ランプ誌 1928年3月1日付
C’était une lutte sourde, qu’on ne pouvait guère soupçonner si l’on n’avait pas eu ses confidences, et si l’on n’avait pas su combien les plus grands éloges que lui décernaient les critiques et les écrivains d’alors étaient, pour lui en son fort intérieur, empoisonnés par les termes de nain et de gnôme dont ils se servaient.
Souvenir de Little Tich
André Legrand-Chabrier, La Rampe, Mars 1, 1928
リトル・ティッチ氏が亡くなった折の追悼文の一節で、障碍者の属性を強調されたくなかったという思いが綴られていました(今回入手した絵葉書を拡大すると分かるように多指症でもあったそうです)。身体の特徴を売りにする気はなく技芸で評価されたい、そんな自負が伝わってきます。1900年のフォノ・シネマ・テアートルは人気のあった芸能人を機械的に抽出していった企画でしたし、実力主義で残された『リトル・ティッチとデカ靴』は氏の本意に沿う一作ではなかったでしょうか。
[IMDb]
Harry Relph
[Movie Walker]
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