1926 – 『猿飛カンター』(Kid Boots、パラマウント社) 35ミリ齣フィルム

齣フィルムより

Eddie Cantor in Kid Boots (1926) 35mm Nitrate Film Fragments

米國には眼玉に五十萬圓の保險を付けて映畫界に入つた俳優がある。この俳優はエデイ、カンターと云つてニユーヨーク、ブロードウエイのジークフイルド座の喜劇俳優で日本でいふなら曾我廼家五郎といつた所、カンター氏に映畫入りを勧めたのはパラマウント社の監督フランクタルト [原文ママ] 氏で同氏の許へお百度を踏んで漸く口説き落としたさうだ。但しカンター氏はあの烈しい撮影の光線で大事な眼を傷めては大變だといふので兩眼に二十五萬ドルの保險をつけると云ふ條件付きで承諾したのである。氏の第一回主演映畫は舞臺で大當りを取つた「キツド、ブーツ」譯名「猿飛カンター」である。


「驚く勿れ眼玉に五十萬圓の保險金」
保険銀行時報 1927年3月6日付 第1312号


齣フィルムを整理している中で、エディー・カンターによく似た円い目の俳優が登場しているものが幾つか見つかりました。1920年代なのでカンターはないよな…と後回しにしていて、ふと気になって確認してみたところカンター本人でした。うああ『猿飛カンター』があった。

40枚ほどの齣フィルムが同作から、大きく二つのグループに分かれます。

1)主人公(カンター)が喫茶店で泣いているクララ(クララ・ボウ)を笑わせようと一人芝居をしたところ、折あしくカルメン(ナタリ-・キングストン)の横槍が入り逆に怒らせてしまう場面。すました感じのキングストンと熱情的なクララ・ボウの対比が良く出ている流れでした。

2)カンターが恋敵(マルコム・ウェイト)から電気椅子療法と手荒なマッサージを受けている場面。

元々ブロードウェイでの当たり役を銀幕にもってきた一作。他愛のないギャグでもどのタイミングで手足をどう動かし、顔の筋肉をどのように使い、目線をどう移動させ客にどの角度で見せるかまで厳密に決まっていて、一連の流れを正確に再現。「高難易度のムーブメントの高再現性」、チャップリンが得意としていたパントマイム型のコメディを1920年代の発想で再構築した風にも見えます。

エディ・カンターの資質はトーキー時代に完全に開花していくのですが、『猿飛』では逆に後年に見えにくくなっている喜劇芸人の基礎素養が前景化、引出しの多さはさすが一時代を画しただけあります。

[Movie Walker]
猿飛カンター

[IMDb]
Kid Boots