昭和3年(1928年頃) – 米エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖

直筆サイン館 より

c1928 Evelyn Whyte Autograph Book

サイズは縦10.8 × 横7.0cm、胸ポケットに収まってしまう程の小さな手帳です。赤い革カバーをめくると見返しに「エヴェリン・ホワイト イリノワ州シカゴ市 パークレーン・ホテル」の所有者名と「映画スターのサイン」の文字。

1928年前後にシカゴに滞在していた女性が集めたもので、27名に及ぶ男女優(1名ジャーナリスト含む)のサインが一冊にまとまっています。一部は別クリーム色がかった上質紙に書かれた物をカットして貼り付けており、残りは手帳に直接書いてもらったサインです。

控えめに言っても凄い面々。ほぼ全員が一線級で活躍していた俳優で一般人が簡単にコンタクトを取れない名前が目立ちます。比較的短い期間(数ヶ月~長くて1、2年程度)にこれだけの大物からサインを貰える環境って何でしょうかね。

鍵となるのは「イリノワ州シカゴ市 パークレーン・ホテル」の解釈です。

可能性として、1)エヴェリン嬢はホテルに滞在、映画業界と何らかの接点を持つ仕事に従事していた。たとえば映画雑誌や新聞の映画欄の担当であるとか、あるいはヘアデザイナーやスタイリストとして撮影所やロケ現場に通っていた、とも考えられます。

とは言えシカゴのパークレーン・ホテルというのは12階建て、ミシガン湖を一望できる好ロケーションの高級ホテルです。旅行で数日間の滞在ならいざしらず、一般人が何か月も住む場所ではなかったりします。

おそらくそれ以上に可能性が高いのは、2)エヴェリン嬢はシカゴのパークレーン・ホテルの従業員だった。部屋の清掃、レストランの給仕、ホテルウーマン…何らかの形でホテルで働いており、客として滞在した(あるいはホテルで開催されるパーティーなどに出席した)俳優にサインを頼んでいた、でしょうか。

以前に紹介したチャールズ・トープ氏のサイン帖でも電気技師として勤めていた劇場名が見返しに明記されていました。当時の従業員名簿が残っている訳ではないため断定はできないものの、エヴェリンさんが自身の勤務先でありサインの取得場所であるホテル名を記した、の解釈はしっくりきます。また、3)仕事または観光でシカゴを訪れていた裕福な家族の一員で、滞在中にホテルで出会った著名俳優にサインを所望していたという可能性もゼロではありません。

ジョン・バリモア、ラモン・ノヴァロやクララ・ボウ等、1920年代中盤~後半のハリウッド俳優については最近触れる機会がありませんでした。今進めている9.5ミリフィルムの整理が一段落つくのを見計らい、自身の復習も兼ねてそれぞれの略歴や私見をまとめていきます。