1917 – 「パール・ホワイト嬢の活劇宿命論」(『活動之世界』第二巻三月號 30~32頁)

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

Pearl White “Actress as A Fate” (Katsudou No Sekai “Moving Picture World” 1917 March Issue)

今から三年計り前の事、恰度、「ポーリンの危難」を撮影中、ある場面で、惡漢がポーリンの私を、地下室に落し込んで、水溜まりの掘割から水を注ぎ込んで、私を水中に沒し去らうといふ時に、四方から幾百とも知れぬ鼠を放つて私を苦しめるといふ所が御座いました。段々とやつて居りますと、水は私の首まで浸して來る、鼠は水に驚いて、わたくしの顔やら耳やらを襲ふて來る、流石の私も、可成り氣味惡く感じましたが、周圍で見て居た人ほど恐ろしいとは思ひませんでした。

又、同寫眞中、私が輕氣球に乗ると、惡漢が來て綱を切るといふ場面を撮りました。ある所から輕氣球を借りまして、ニユージヤーシー州のバラセード公園の一隅に据ゑ付け、降りる時に用ひる繩の用意など整えて、いよいよ撮影に取りかゝる事になりました。私がその輕氣球に乗ると惡漢が繩を切る、輕氣球は空へと上る、その時、私が下降用の繩の始末を忘れて居たので、球は段々と高く上つて、ハドソン河上を横切つて紐育市を越え、ロングアイランドへ向つて進んでゆく。私は珠上の眺望の見事さに、我身の危険さも忘れて飛んで居ましたが、其内球が段々大洋の上に出かゝつて來ましたので、驚いて下降用の縄を引張り、やつと水際から二三歩の沼の上に下りることが出來ました。此時は私よりも、外の人にご心配をかけた事は一通りでなく、舞臺監督のギアシニアーさんなど、まるで狂亂の姿で追かけてお出になりました。

斯んな事は、活劇女優として少しも自慢にはなりませんが、私は如何なる危險な身の毛のよだつ樣な場合にも、決して身替りを頼んだ事は御座いません。

さりとて、活劇は、實際危險です。ですから活劇を演る人は、皆んな宿命論者のやうです。[…]物事は成る樣にしか成るものではない、何うなり行くのも皆な其の人の宿命と考へまして、如何なる場合にも全力を注ぎます。

『活動之世界』の記事から5年後となる1922年の8月、休養からの再起を図った活劇『プランダー』撮影中に事故が起こりました。パール・ホワイトのスタントを担当していた男優ジョン・スティーヴンソン氏がスタントに失敗し亡くなったという出来事でした。初期作品で体を痛めていた活劇女優が実際には危険な場面を演じてはいなかった、と正式に明らかにされたのはこの時のことでした。前々から知っている人は知っていたんでしょうね。

1922-08-11 Pearl White Plunder Accident
ニューヨークヘラルド紙1922年8月11日付記事より

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