
“Ballads and Theme Songs : Cinema & Revues Photo Album”
supplement to the “FUJI” magazine Vol.8, No.9 (Sep 1935)
published by the Dai Nippon Yubenkai Kodansha, Tokyo, Japan.
以前から何度か紹介してきている月刊誌『冨士』の付録、今回は1935年度版で表紙は霧立のぼるさん。トーキーがほぼ定着した状況で、映画を彩ってきた音楽と同時期に隆盛を誇り多くのスターを生み出していた歌劇とをメインに据えた構成になっています。
形式としては1933年(『東西映画 人氣花形寫眞大鑑』)、1936年(『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』)と同様で冒頭に数点の彩色グラビアを置き、本文は単色(緑系、青系、茶系)になっています。作品紹介についてはランダムに並んでいるものの会社や俳優のバランスを良く考慮したものでした。時系列に並べ直してみると分かりやすいのかな、と思います。
1923年(大正12年)


- 『船頭小唄』(松竹蒲田、池田義信)
- 『水藻の花』(松竹蒲田、池田義信)
1924年(大正13年)

- 『籠の鳥』(帝キネ、松本英一)
1929年(昭和4年)






- 『君戀し』(日活、三枝源二郎)
- 『波浮の港』(日活、木藤茂)
- 『親父とその子』(松竹蒲田、五所平之助)
- 『浪花小唄』(松竹蒲田、重宗務)
- 『沙漠に陽は落ちて』(日活、木藤茂)
- 『東京行進曲』(日活、溝口健二)
1930年(昭和5年)


- 『この太陽』(日活、村田實)
- 『想ひ出多き女』(松竹蒲田、池田義信)
1931年(昭和6年)




- 『姉』(新興、高見貞榮)
- 『雪の渡り鳥』(阪妻プロ、宮田十三)
- 『私のパパさんママが好き』(松竹蒲田、野村浩將)
- 『侍ニッポン』(日活、伊藤大輔)
1933年(昭和8年)




- 『ほろよひ人生』(PCL、木村荘十二)
- 『東京音頭』(松竹蒲田、野村芳亭)
- 『恋の花咲く 伊豆の踊子』(松竹蒲田、五所平之助)
- 『天龍下れば』(松竹蒲田、野村芳亭)
1934年(昭和9年)






- 『淺太郎赤城の唄』(松竹下加茂、秋山耕作)
- 『月よりの使者』(入江プロ、田坂具隆)
- 『涙の母』(PCL、木村荘十二)
- 『日像月像』(日活、阿部豊)
- 『只野凡兒』(PCL、木村荘十二)
- 『心の太陽』(日活、牛原虚彦)
1935年(昭和10年)







- 『國境の町』(新興、松崎博臣)
- 『気まぐれ冠者』(千恵蔵プロ、伊丹万作)
- 『うら街の交響曲』(日活、渡邊邦男)
- 『百萬兩の壺』(日活、山中貞雄)
- 『花咲く樹』(新興、村田實)
- 『大江戸出世小唄』(松竹下加茂、大曾根辰夫)
- 『すみれ娘』(PCL、山本嘉次郎)
出発点に『船頭小唄』と『籠の鳥』のヒットがあり、1920年代末まで小唄映画が隆盛。トーキーの到来とともに「小唄」の概念は薄れつつも「主題歌」に発展解消。同時並行的にオペレッタ喜劇が人気を博していく。アルカイックな表現はモダンに、瀟洒になっていく…
これだけの数のスチル写真が添えられていると時代の変化、大衆の嗜好の変遷が見やすいですよね。「音楽映画黎明期小史」の副題をつけても違和感がないくらいです。
この冊子は初期映画に絡んだ流行歌をまとめただけですが、結果的に無声映画がトーキーに移行し、邦画がアップデートされた過程を可視化している一冊にもなっているのが興味深いところです。「小唄と主題歌」の「と」は決して単なる並列ではなく、1920年代中盤から30年代中盤にかけて日本社会や経済、文化、そして映画テクノロジーが経験した大掛かりな変貌そのものなのでしょう。
[発行年]
昭和10年9月
[発行者]
大日本雄弁会講談社
[フォーマット]
100頁 26.2cm×18.9cm
[定価]
本誌三銭、附録四銭