1920 – 9.5mm 『カリガリ博士』 1931年 英パテスコープ社プリント

フィルム館・9.5ミリ (英パテスコープ) & 映画史の館・ドイツより

The Cabinet of Doctor Caligari
(Das Cabinet des Dr. Caligari , 1920, Decla-Bioscop AG, dir/Robert Wiene) 1931 UK Pathescope 9.5mm Print

『カリガリ博士』の9.5ミリ版が届きました。1931年に英パテスコープ社から発売された3リール物の編集版で、後に欧州の一部の地域(独・仏・スペイン・スウェーデン)で字幕を差し替えた各国版が流通していました。

今回第2リール後半部のスキャンを行いその後第3リールを実写。以前に戦後東独DEFA社8ミリの2巻物を紹介しておりますので、同一フレームを並べてみました。

英パテスコープ9.5ミリ版(左)と独DEFA8ミリ版(右)

9.5ミリ版は粒子感が目立つもののグラデーションは丁寧に再現されています。一方でトリミング幅が大きく取られており、オリジナルの構図が僅かに崩れる傾向を見て取れます。

G916映写機で実写した様子。スキャン時に見られたフィルムの特性がそのままスクリーンに出ています

『カリガリ博士』は戦後の1950~60年代に16ミリ版が多数流通していました。ただし戦前期に16ミリ版が市販されていた記録はなく、1930年代に家庭で観ようとすると9.5ミリ版が唯一の視聴手段となっていました。

本作に限らず、1930年代の英パテスコープ社の9.5ミリカタログは優れた作品の宝庫となっています。ドイツ作品の充実(『ファウスト』『聖山』『シンデレラ』『ヴァリエテ』やラング諸作)は勿論のこと、ルノワール監督の『城下町の決闘』やトゥールヌール監督『嵐の孤児』のように仏パテ社で市販されなかったフランス作品が多数含まれているのです。英パテスコープ社が先鋭的なリリースを行っていたのは偶然ではなく、同時期のイギリスの状況、特に映画同好会/シネクラブ(Film Society)の隆盛を反映したものでした。


グラスゴー映画同好会は英国で二番目の歴史、規模を持つシネクラブである。同会はロンドンシネクラブ発足後すぐにD・パターソン・ウォーカー(現在でも同会幹事の一人)、スタンリー・ラッセル、チャールズ・フレイザーの三氏によって創設された。初回の会合には13名が参加。同会初の公の活動はファースト・ナショナル=パテ社の地下映画館での上映であり、最初に披露されたのは『カリガリ博士』であった。[…]

同会は雑誌を定期的に発行しているのが特徴の一つとなっている。グラスゴーで一般劇場上映されている映画のおすすめや、短い論考、会員による討論などが収められたものである。

「映画同好会紹介」
『世界フィルム新報(ワールド・フィルム・ニュース)』誌第5号(1936年8月)

Glasgow Film Society is the second oldest and second largest in the country. It was founded, shortly after the London Society, by D. Paterson Walker (who is still its secretary), Stanley L. Russell and Charles Fraser. The inaugural meeting was attended by thirteen. Its first performances were held in the private basement theatre of First-National Pathe. The first film shown was Caligari. […]

An interesting feature of the Society is its magazine programme, which contains recom- mendations of films shown commercially in Glasgow, short articles, and a members’ forum for discussion.

Film Societies
World Film News and Television Progress, 1936 June Issue


イギリスでは1920年代末から各地で非営利の同好会が組織されるようになってきました [1] 。上映会や討論会を通じ映画への理解を深めていくことを目的としたものです。例えば1936年にはバーミンガムのシネクラブが主催となり地元の女学校で映画史と映画技術についての講義が行われ、またライチェスターでは「映画作品を如何に見るか」のテーマで会員向け講座が開かれていました [2]

こういった草の根の情報共有、啓蒙活動が展開されていく中で他国にはない充実した映画愛好家層が形成されていったと見られ、英パテスコープ社もこの層をターゲットに安定したフィルム供給が出来ていた訳です。


日曜の朝、フォルビュッテル映画博物館でヴォルフ・ヘルマン・オッテ氏が上映した映画は2つの観点で非常に特殊な作品でした。ロベルト・ヴィーネ監督による1920年公開の無声映画古典『カリガリ博士』であっただけではなく9.5ミリと言う非常に特殊な形式だったのです。

「1930年代に確立された形式なのですが、常にアウトサイダー(Außenseiter)の位置付けでした」オッテ氏は30名ほどの参加者にそう説明しました。

「フォルビュッテルの映画博物館で無声映画古典作品上映」
リッベスビュッテル.de
2019年7月29日付オンライン記事より

Es war ein ganz besonderer Streifen, den Wolf-Hermann Otte am Sonntagvormittag in den Projektor im Kinomuseum Vollbüttel einlegte – und zwar in doppelter Hinsicht. Es handelte sich nicht nur um den Stummfilmklassiker „Das Cabinet des Dr. Caligari“ aus dem Jahr 1920 von Regisseur Robert Wiene, sondern er hatte auch noch ein ganz besonderes Format: 9,5 Millimeter.

„Das Format hatte sich in den 30er Jahren zwar durchgesetzt, war aber immer ein Außenseiter“, erklärte Otte den rund 30 Zuschauern.

Vollbütteler Kinomuseum zeigt Stummfilmklassiker
29.07.2019
http://www.ribbesbuettel.de


オッテ氏の用いた「アウトサイダー」は興味深い言い回しです [3] 。ある種の迂回路でありながら同時にショートカット、王道というよりむしろ異端寄りの不思議な形式です。正直、高画質のデジタル版を容易に入手できる現在『カリガリ博士』をあえて戦前9.5ミリで観る必要性はあまりないのかな、とは思っています。ただこのフィルムにはある時代に育まれた映画の叡智(キノソフィア)の痕跡が刻まれています。この種の愛好家は今もどこかにいて、半世紀後や一世紀後も現れ続けるはずで、彼ら彼女らにこのフィルムが「何であるか」を解きほぐし、記憶と実物をつないでいく必要性は大いにあるのかな、と。

[IMDb]
Das Cabinet des Dr. Caligari

[Movie Walker]
カリガリ博士


[脚注]

[1] 1920~30年代の英映画愛好会ムーブメントとその背景や射程については『ラウトレッジ版 英映画史必携 第1版』(2017年)に収められたリチャード・マクドナルド氏の論考「英映画愛好会ムーブメント」(The Rise of The Film Society Movement)で詳細に分析されています。

[2] “Leslie Cargill, film critic of the Leicester Mercury, has been giving members of the Leicester Film Society a lecture cotu-se on “How to Look at a Film.” Similar courses are planned each season by the Leicester Society, which has the co-operation of the Vaughan College of Adult Education in organising this part of its work.”

“In addition to a successful season of shows and lectures to members, arranged in conjonction with the Midland Adult School Union, two extra meetings were arranged when The Cabinet of Dr. Caligari was shown. W. H. Auden, the poet who has recently contributed verse to several G.P.O. productions, introduced a discussion. A lectiu-e on the history and technique of the film was also given to a local girls’ school.”

いずれも『世界フィルム新報(ワールド・フィルム・ニュース)』誌第4号(1936年7月)

[3] 以前にオッテ氏とやりとりした内容については9.5ミリ版『メトロポリス』を参照のこと