1918 – 『活動畫報』 大正7年1月 新年特別號

情報館・雑誌(和書) より

Katsudō Gahō Vo.2 No.1 1918 January New Year Special Issue
(Hiko-sha, Tokyo)

大正7年に公刊された『活動画報』の新年号。各社による謹賀新年の広告が雑誌を賑やかに飾っています。

巻頭カラーグラビアにヴァージニア・パーソン。単色グラビアでベッシー・バリスケール、メアリー・マクラーレン、エディー・ポーロ、クララ・キンボール・ヤング等が登場。折込で天活旧派『有馬音頭』と日活旧派『仮名手本忠臣蔵』が紹介されていました。ちょうど日活と天活の旧派それぞれの贔屓が活発に議論を交わしていた時期でもあります。各派それぞれ新年の挨拶代わりに見開きで幹部俳優が勢揃いで登場していました。

本文の記事では「最近の映畫と其傾向」の題で各ジャンル(活劇、人情劇、文藝寫眞、喜劇、新派劇、舊派劇)での昨今の傾向分析が行われていました。新派劇『毒草』の言及もあり。

また『赤環(レッド・サークル)』公開で日本でも名を知られるようになったルース・ローランドの書簡「櫻咲く國の皆樣へ」が掲載されています。ルース自身が本当に書いた「手紙」の翻訳ではない、という気がするものの(所属会社のバルボアが宣材として用意した、あるいはデータだけもらって活動画報側がまとめた)過不足なくまとまっていて面白かったです。

『活動畫報』のこの号は本サイトにとって大きな意味を持っています。年末に公開されたばかりの連続劇『レ・ヴァンピール』(邦題『ドラルー』)と、ナピエルコウスカ代表作として記憶されていく『亂菊の舞』が大きく取り扱われているからです。


 […] 探偵は立上がつて額をはづして見たが、其後は何もない壁だが其が四角に枠が付いて居る、變だなと思ひながら其枠の上をさすつて居ると、何うしたはづみか其枠の中の壁が中へ倒れて一尺四方位の穴が明いた。扨は先刻の音は此中であつたかと思つて、尚もよく見たが中には何者もなかつた。それで其處は元の通りにして再び寝床に入つたが今の事が益々不思議に思はれて來た、それで煙草でも吸つてやらうとポツケツトを探つてみると何か手に觸れたものがある。取出してみると紙片に次の樣な事が書いてある。

 『汝が吸血鬼事件に關係するは、汝の爲に宜ろしからず、速に手を引くべし』

 此を讀んだ虎郎 [ドラルー] 探偵は、扨は此も彼の惡漢共の爲す業か、これでは此家も怪しいわい、と思つたが、大膽なる探偵の事とていつか晝の疲れで眠つて仕舞つた。

 果して其翌朝になつて大事件が發見された、其は其晩野久 [ノグ] 醫師の邸へ宿つた信野武 [シンプソン] 夫人の寝室に何者かゞ忍び入って、例の立派な巻煙草入れを初め、高價なる夫人の首飾りや、金指輪等莫大な金目の貴金屬寶石類を殘らず盗んで行つて仕舞つたのである。

「探偵活劇 吸血鬼 – 一名ドラルー -」 (櫻橋畔人 翻案)


俳優も女賊アルマ・ベツプに扮したムシドラ孃の濃艶な中に人を魅し去る表情などは仲々巧いものである。米國女優の樣に際どい放れ業は爲ないが、女の惡黨としての凄味は十分あつた。ドラルー探偵に扮したヱド・アーラ氏 [原文ママ] の敏捷なる活躍も十分其人になつて居つた。兎に角長いダラダラした米國物の多い此頃では珍らしく深刻で面白い寫眞であつた。(以上A生)

「封切寫眞評判記 : ドラルー(電氣館)」



 […] デアナはヴエールを取つてきつと侯爵の方を見た。
 『おゝ、デアナぢやないか?。何用あつて此處へ來た!』
 侯爵の語尾は顫へてゐた。デアナは冷静な態度で
 『よく私の顏を忘れませんでしたね。それなら一年前の出來事も、ローレンスを殺した事も』

「晩秋哀話 吸血鬼 亂菊の舞」


伊太利のイタリアナ會社の五巻物である。先づ此寫眞が觀客に與ふる好感は、其映畫の鮮な點にある。槪して伊太利物は鮮明である。目下歐洲製のヒルムが缺乏して居つて米國物全盛の時代に此館が、伊太利物の宜い物を見せて呉れるのは、愛活家の大に多とする所である。

此も戀愛劇であるが、其に巧みに人情を絡ませて、筋も仲々面白く出來て居る。

「封切寫眞評判記 : 亂菊の舞(キネマ倶樂部)」


両作共に単色グラビアでスチルが紹介され、批評を掲載、また16頁前後の読み切り小説が収録されており粗筋が分かるようになっています。

『レ・ヴァンピール』に関しては同時期(大正6年11月)すでに春江堂から泉淸風訳の小説版が出されていました。活動画報版は紙数の都合で端折っていますし、フイヤード自身の関与した仏語小説版とは関係ない二次創作物ではあります。それでも訳文に黒岩涙香の影響が見られ(第一話のノックス医師が「野久 [ノグ] 醫師」、ドラルー探偵が「虎郎 [ドラルー]」として登場など)読み応えのある文章でした。

また春江堂版、活動画報版いずれも本来あるべきエピソードが欠けているケースが目立ちます。日本で公開されたプリントが完全版ではなく編集版であったためと思われます。そもそもフランス語版オリジナルには「ドラルー」という探偵そのものが登場していませんでした。設定を大きく改変したもので、日本での封切時にどのような変更が施されていたかを知る上で貴重な資料となっています。

一方の『亂菊の舞』については現存資料が少なく、今回初めて物語の全体像をつかむことができました。訳あって貧しい家で育てられていた美しい娘デアナは実は貴族の落胤で、父の死後生家に迎え入れられます。そこで出会った青年画家と恋に落ちるものの、デアナに懸想した好色な青年貴族によって恋人を殺されてしまうのです。一年後、縁あって再度貴族青年と相まみえたデアナが自らの命を賭して復讐を果たしていく…

ナピエルコウスカのイタリア期作品は近年『カリギュラ』(1916年)がデジタル復元されるなど再発見の対象となっています。『亂菊の舞』もこういった流れにつなげて理解・再評価していく必要があると思われます。

[出版者]
飛行社

[発行]
大正7年(1918年)1月1日

[定価]
三十二銭

[フォーマット]
菊判 21.8×15.2cm、220頁