1918 – 『現代俳優鑑』 (木下隆一・編発行 演芸画報社)

Gendai Haiyū Kagami
(“Directory of Contemporary Actors & Actresses”,
1918, Tōkyō Engei-Sha)

1918年(大正7年)3月に演芸画報社から公刊された名鑑。以前、上方歌舞伎俳優の書画帖を紹介した際に俳号や経歴確認に使用したもので、その時は国立国会図書館のデジタル版で参照したのを実物で入手することができました。

今回、1925年に『芝居とキネマ』の巻末付録として作成された『現代俳優かがみ』を併せて紹介しています。両者を読み比べていくと7年しか違っていない同名本にも関わらず「俳優」の概念や性質が大きく変貌していることが分かります。

表紙デザインからも伺えるように演芸画報社版はあくまで歌舞伎役者を主とした構成。
 東京歌舞伎俳優之部:139名(49.6%)
 大阪歌舞伎俳優之部:36名(12.9%)
 新派俳優及び新劇団之部:64名(22.9%)
 喜劇俳優之部:15名(5.4%)
 各派女優の部:26名(9.3%)
 計280名

東京の歌舞伎役者がほぼ半数、新派と新劇系の男優が2割強を占めています。「女優」は寄せ集めのような形で最後に付されていて、全ジャンル併せても1割に届いていませんでした。現場で活動していた実数や割合とは異なっているのでしょうが、1918年時点で紹介に足る俳優を集めていくとこういった数値が出てくるという興味深いデータかな、とは思います。

1918年3月にはまだ映画女優は存在しておらず「女優」の枠組みで紹介されているのは帝劇(森律子、初瀬浪子)、新派(川上定奴)、文藝協会(松井須磨子)関連の役者たちです。そしてこういった大物にまぎれ、数年後に映画界で話題を呼ぶ面々(川田芳子、林千歳)が登場。当時、リアルタイムでこの書籍を手にした人々は数年後に日本に映画女優の流行が起こるとは想像できなかったと思います。それでも歴史の連続性はあるわけで、振り返ってみるなら予兆や兆候と呼べそうなものは見え隠れしています。

他にも嵐璃徳のように後年映画に軸足を移した歌舞伎役者や新派劇映画でなじみの深い面々(井上正夫、藤野秀夫、栗島狭衣)、五味國雄・國枝の父・國太郎や山田五十鈴の父・山田九州男らが含まれていて、初期映画視点から読んでも得るものが多い一冊です。


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