帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [25] & 絵葉書館・ロシア/ソ連/旧ソ連構成国 より
1876年モスクワ生まれ。若くして舞台を志しサンクトブルグの演劇学校で演技の基礎を学ぶ。二十代の半ばで初舞台を踏み、19000年代中盤に現ウクライナのキーウにあるソロフツォフ劇場(現レーシャ・ウクライーンカ記念国立アカデミー劇場)と契約し同劇場の花形女優となります。
同時期に役者および演劇監督として頭角を現してきたコテ・マルジャニシヴィリ(当時はロシア風の綴りのマルツァーノフ名義で活動)との共同作業で名を上げ、とりわけオスカー・ワイルド『サロメ』の舞台版(1917年)とロペ・デ・ベガ作『フエンテ・オベフーナ』(1919年)二作の成功でモスクワまでその名を知られるようになりました。
革命以前の帝政期には映画女優の活動も並行しており、この内イヴァン・モジューヒンと共演した1914年『明日の女』が現存し蘭EYE映画博物館のデスメット・コレクションに収められています。ヴェーラさんは多忙な開業医を演じ、重篤な病に陥った急患の女性がたまたま自身の婚約者(モジューヒン)の浮気相手であった…という展開を持つ帝政ロシア期の典型的メロドラマ短編です。
[IMDb]
Vera Yureneva
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